羽織袴に着慣れする

羽織袴を上手く着るコツは「見えないところは大胆に、見えるところはていねいに」ということではないかと思います。

 

伊勢神宮参拝の折に、7か月ぶりに羽織袴を着たのですが、比較的スムーズに(途中、忘れることなく)最後までちゃんと着ることができました。

 

もう手が覚えたようで、自転車と一緒で一度乗れれば、あとは一生乗れるのと同じことなのかもしれません。

 

羽織袴だからと言って、あまり堅苦しく考えることはなく、要は洋服と同じように取り扱っていけばいいのだと思います。

 

家では着物用のハンガーにかけています。

 

ただしそれを折りたたむことは私にはムリで、プロや極めて着物になれた人しかできない技でもあります。

 

着物は暑くなると着ることができないので、4月ごろ最後に着た後、専門店にクリーニングを依頼します。

 

そしてまた寒くなる11月ごろから着だすということになります。

 

羽織袴を着ると、最初は自意識過剰で「人の目」が気になります。

 

誰も見ていないのに「見られていること」に気疲れしたりします。

 

何度も着ていると、そういったことも含めて着慣れしてくるわけです。

 

せっかく自分で羽織袴を着ることができるのに、それを着ていく場所があまりないというのが残念でもあります。

来年のクルマ旅

すでに来年のクルマ旅ならびに出張の予定を着々と立てています。

 

東京ビッグサイトへ行く場合は、いったん東京のホテルに泊まり、次の日にそこへ向かっていました。

 

が、東京近辺が(コロナが収束し)再び渋滞しだしたので、手前の静岡県あたりで宿泊することにしました。

 

次の日の午前中、そこから直接東京ビッグサイトに行くと楽なのです。

 

茨城県の御岩神社参拝の計画では、東京のホテルはスルーし、御殿場、水戸、浜松と、それぞれ別のビジネスホテルに泊まり、計4日をかけて、たった1つの神社を訪問します。

 

九州神社めぐりの旅は来年7月の予定ですが、すでにホテルをすべて予約しました。

 

宿泊場所も小倉⇒博多⇒熊本⇒広島とバラバラなのですが、予約するだけで疲れてしまいました。

 

私はいつもツインのシングルユースで予約するのですが、小倉から博多へ行くだけで(同じようなレベルのホテルなのに)料金が3倍になるのには驚きました。

 

小倉は工業都市で、博多は商業都市

 

極めてざっくり言えば、商業は工業の3倍の付加価値があるということなのかもしれません。

 

年1回の出雲大社参拝も、いつもと同じホテルを予約。

 

何度も行っている所は要領がわかっているので気が楽です。

羽織袴で神宮参拝

以前に書いたブログを読み返しています。

 

まったくブレていない考え(方針)もあれば、試行錯誤しながら進めているアイデアもあります。

 

一つ気がついたのは、書いた夢はすべて実現しているということ。

 

逆に叶う夢しか書かないということなのかもしれません。

 

私がアメリカの大統領や大相撲の横綱を目指しても、これは叶いっこありません。

 

理想の自分を書いてみると、理想の自分が近づいてくるというのは本当で、従って書かなければ「損」なのです。

 

繰り返し書き続けていると、「今の自分」が「理想の自分」になっていることに気がつきビックリしたことがあります。

 

健康的にも、家庭的にも、経済的にも、知的にも、社交的にも、今の自分がベストです。

 

夢の中には「羽織袴で伊勢神宮に参拝する」というのがあり、これは私の人生でもかなり大きなウェイトを占める夢でもあったのですが、見事に実現しました。

 

意外に難しい夢なのです。

 

洋服なら誰でも問題なく着ることができますが、着物の場合はそうはいきません。

 

10回も人から習い、やっと羽織袴を自分一人で着ることができるようになりました。

 

数十万円するスーツと言えば、相当上等な部類ですが、高級な羽織袴の場合は簡単に百万円を突破します。

 

寒い季節でないと着物は着ることができず、7か月ぶりに家で試着してみたのですが、よどみなく着ることができました。

 

羽織袴での参拝は背筋が伸びて、実に気持ちがいいのです。

 

九州への「神たび」計画

小さなサイズのタブレットに買い替え、今までのタブレットから、すべての機能をそちらに移し替えようとしたのですが、何かしらうまくいかず、結局、新しいタブレットを「カメラ」と「地図」と「検索」に特化して使うことにしました。

 

そうすると非常に具合がいいのです。

 

来年の「神たび」を計画していて、ここ4年間、連続して参拝している宗像大社などの神社めぐりを模索していました。

 

タブレット2台とパソコン1台が手元にあり、一つのタブレットでグーグルマップを見て、もう一つを使い、ナビのアプリでクルマでの移動時間を出し、そしてパソコンでホテルを調べていきました。

 

最初は福岡県の神社めぐりをし、計3日間で自宅に帰ろうと思っていたのですが、3台の画面を見ているうちに「あれ、もう2日使えば幣立神宮や高千穂方面にまで行けそうだ」ということに気がついたのです。

 

結局、8つの神社を巡る計5日間の旅の計画となりました。

 

宿泊場所も小倉⇒博多⇒熊本⇒広島と毎日違います。

 

本当は熊本から兵庫県宝塚市へ一直線に帰りたかったのですが、私の体力ではムリで、途中、広島で1泊という計画になったという次第です。

 

経営の基本

ある公認会計士が言っていたことですが、上場企業の役員でも決算書が読めない人が結構いるとのことです。

 

中小企業の社長で決算書が読めない人がいることは知っていましたが、上場企業でもそうだったのですね。

 

京セラの稲盛和夫さんは若いころから、経理で分からないことは徹底的に担当者に聞いて覚えていったそうです。

 

一倉定先生によると、社長で「数字に弱い」と言っている人がいるが、これは「運転手が運転が下手だ」と言っているのと同じことだとのことです。

 

営業畑出身のイケイケ・ドンドンの社長が数字を見ずして経営すると、どこかで破綻するというのはよくあるケースです。

ストックビジネスでない、フローばかりを追いかけるビジネスだと、いつまでたっても蓄積というのが築けません。

 

不動産業で言うなら、売買仲介がフロービジネスの典型で、今月いくら契約を上げていても、来月になればまたゼロからのスタートになります。

 

賃貸管理であるならば、管理物件を増やす努力を重ねていけば、毎月、既存の安定収入に新規の賃貸管理料がプラスされます。

 

過去の努力がそのまま持ち越せるわけです。

 

ということで、同じ努力するならストックビジネスで頑張ったほうが圧倒的に有利だというわけです。

 

ただしフロービジネスで「ハデに活躍するのが生きがいだ」などという場合は、また別の話になります。

パソコンとタブレット

日本で最初に携帯電話が出だしたのが1989年を頂点とするバブルのころでした。

 

携帯電話を持つこと自体が一種のステイタスのような感じで、私もドデカイ携帯電話をどこへ行くにも持っていきました(イケイケの不動産屋でした)。

 

みんなが携帯を持つようになると、逆に私はほとんど使わなくなり、スマホに至っては使わないというより「使えない」状況です。

 

今はビジネスでもメールのみで仕事をしています。

 

早朝や夜中でも、また海外にいても、メールさえつながれば仕事ができます。

 

電話だと相手の時間も、自分の時間も奪われる感じが今ではします。

 

その点、メールは束縛がなく自由自在です。

 

今はパソコンがメインで、タブレットを補助に使っています。

 

今回、そのタブレットをサイズの小さなものに買い換えました。

 

ショップへ行って買い換えるだけで半日仕事で、どっと疲れました。

 

仕事の疲れでもなく、運動の疲れでもない、いつもとは違う、ちょっと神経的な疲れです。

 

買い換えたものの、使い慣れるまでに半年ぐらいかかる予感がしました。

 

で、いろいろ考えた結果、新しいタブレットを「カメラ」と「検索」と「地図」に特化して使うことにしたのです。

 

そうすると非常に頭がスッキリし、使い勝手が格段に良くなったという次第です。

神社へ行こう!

今がわが人生で一番充実し、一番幸せです。

 

もっと言えば、過去数千回の輪廻転生の中でも最も幸福ではないかと思うのです。

 

今の平和で豊かな日本に生まれたこと自体が超ラッキーで、仮にもう100年前の日本に生まれていたとしたら(私のような愛国少年は)たぶん戦争の最前線で死んでいたのではないかと思います。

 

世界80億人の中でも、間違いなくトップ1%に入る幸せ者だと思うし、トップ1%どころか、ひょっとしたら3本の指に入るぐらいのラッキーパーソンかもしれません。

 

もうこうなると、ほとんど奇跡ではありませんか。

 

そうすると不平不満を言うなんてトンデモない話であって、常に神々に深く感謝したいと思うのです。

 

60歳になって初めて日本の神々とのご縁をいただき(伊勢神宮出雲大社式年遷宮に偶然参加できました)、以降10年間、驚くほどの運気の上昇を体験しました。

 

実際に私が経験していることなので、ウソでもなんでもなく、少しでも多くの人に神社参拝の功徳を伝えたいと願っています。

 

新興宗教の勧めだと、ちょっと「引かれる」可能性がありますが、伊勢神宮などは紀元前4年から存在しているわけで、堂々と神社参拝を進めることができるのは有難い限りです。

 

実際、私の影響を受けて何人かの人たちが神社参拝を始め出し、見ていると、やっぱりグングン運気がよくなっているのです。