しあわせ人生

物置のように使っていた部屋の古い家具を捨てたり、ほかの部屋に移動させたりし、そのあとにオーダーした書棚を入れました。

 

結果、空間が実にスッキリし、モチベーションがグンと高まりました。

 

地下図書館に(電動書庫とは別に)木製の大型書棚が5竿(竿・さおは家具などを数える語です)あり、それらも移動させ、そのあとに数千冊の本が入るオーダー書棚を設置しました。

 

これでもう1年ぐらいは本を保管する場所を心配しなくてすむようになりました。

 

その間、倉庫的に使っていたスペースの粗大ごみを、トラック2台分ほど処分したりもしています。

 

足を踏み入れただけで「やる気」が増してくる場所のことを、仮にパワースポットと呼ぶならば、自宅が段々パワースポットになってきた感があります。

 

そのためにも普段からの掃除、片付け、モノ捨てがどうしても不可欠なように思います。

 

いい空間にいると、知的生産性が上がります。

 

私も体験しているのですが、実力以上の力が出るのです。

健康は幸せになるための要素の9割ぐらいを占めています。

 

健康でサム・マネーがあるならば、ほぼ100%幸せと言ってもいいのではないでしょうか。

 

それ以上の願望は「あつかましい」のかもしれないし、もしその願いを叶えたいとしたら、純粋な気持ちでチャレンジしていくべきでしょう。

 

人生というドラマの脚色家は自分であって、いくらでも想うシーンに変えていけます。

 

穏やかだけどワクワク人生…これが私が描いている人生ドラマの基本原稿でもあります。

 

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伊勢神宮 日帰り参拝

伊勢神宮に毎月参拝に行っているのですが、コロナで定宿としていたホテルが一時閉鎖になりました。

 

その間、別のホテルに変えたりしていたのですが、ある時ふと「ひょっとして日帰りで参拝ができるのではないだろうか?」という考えが浮かびました。

 

伊勢神宮は「早朝の正式参拝が最高」だと思うのですが、コロナ以降、午前8時半から午後4時半までに限定されています。

 

朝7時ごろの早朝参拝はできないにしても、少なくとも午前中の参拝でなければ、神さまからいただくパワーの「威力」が半減する感じがするのです。

 

従って午前中に伊勢神宮に到着するようにするため、今回は朝6時過ぎに自宅を出ました。

 

ワンちゃんとの散歩や部屋の掃除など、あらゆるルーティンワークをすっ飛ばし、朝食も食べずにスタートしました。

 

高速道路などスイスイすいていると思いこんでいたのですが、朝の6時台は結構混んでいるのですね。

 

朝9時ごろに外宮に到着。

 

いつもより参拝の人たちが随分と多いことに驚きました。

 

正式参拝は礼服かスーツでなければ、御垣内の中に入れてもらえないのですが、きちんとした恰好の団体の人たちもいて、全体的に場が引き締まった感じがしました。

 

無事に正式参拝を終え、あらかじめ調べていた温泉施設に向かいました。

 

お風呂に入ってから、帰路に着こうと思ったからです。

 

今まで「街の温泉施設」のような所には入ったことがなかったのですが、平日のお昼なのに年配者でいっぱいでした。

 

年配者と言ってもヨボヨボの人はいなくて、退職後の年金生活者といった感じで、私と同世代の人が多いのではないかと推測しました。

 

たぶん近所の人が毎日来ているのではないでしょうか。

 *

今回の「車勉」で聴いたCDは計6枚。

経営が4枚、語学が1枚(ドイツ語)、そして何と万葉集のCDが1枚ありました。

 

ということで、伊勢神宮日帰りの初の試みは見事に成功。

次回もこのパターンで参ります。

 

たかが本、されど本

「せっかくこの世に生まれてきたのだから、1冊でも多く本を読み、静かに朽ちていこう」という(ちょっと大袈裟に言えば)人生観や死生観を持ってから、すべてがうまく回転しだしました。

 

本を買うにはお金が要りますが、まあ言えばそれだけで、ムリなところは何もないわけです。

 

本を読まなくても大成功する人は少なくありません。

 

ただし大成功を持続させるのは難しく、本を読んでいると失敗が少なくなる効用はあるかもしれません。

 

世の中を観察していると、本を「ある程度」読んでいる人は案外少ないような気がします。

 

ITビジネスで成功を収めた人が本の中で「自分はビジネス書を年間100冊読んでいる」と“やや”自慢げに書いていたのですが、嫌味でも何でもなく100冊程度でも立派に事業を大きくさせていくことができることを知りました。

 

また美容院の数を日本でベスト3ぐらいまでに発展させた人(ちなみに年収は4億円)が「自分は美容師の中では一番本を読んできた人間だ」とCDで述べていました。

 

その数は40年間で1,000冊だそうです。

 

ということは年間25冊。月で言うと約2冊になります。

 

これまた嫌味では全くないのですが、月にたった2冊で(美容師の中では)日本一の読書家になるわけで、美容業界自体が本とは無縁の世界なのかもしれません。

 

確かに本をよく読んでいる美容師さんに会った例(ためし)がありません。

 

つまり本を読まなくてもビジネスを成功させることができるということで、逆に言えば、本にそういったことを期待すべきではないとも言えます。

 

「本が読みたいから本を読む」でいいのではないかと思うのです。

 

しかしながら私自身は「人生で大切なことは、すべて本から学んだ」と断言できるし、人にも読書を心から奨めたいと思っています。

 

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オシャレは大事

男子校の柔道部だったので、服装には無頓着でした。

 

文武両道、質実剛健と言えばカッコいいのですが、服装はかなりダサかったのです(従ってモテるわけがありません)。

 

社会人になるとスーツにネクタイというビジネス文化があったので、これで何とか「ダサさ」からは脱出できました。

 

が、最近は社会全体がカジュアル化し、その人のファッションセンスがモロに服装に現れます。

 

とは言え、毎回、出勤や外出のたびに服装に頭を悩ますのは、時間や脳内エネルギーのムダとも言えます。

 

自分に似合う「全く同じ」服を5着用意し、毎日それを交代で着て行く(自営業の)人もいます。

 

私も(同じ服ではないのですが)お気に入りのブランドのジャケットに絞って着ています。

 

上等な「お気に入り」を「数少なく」そろえ、「富裕層のミニマリスト」を目指しています。

 

「人は見かけが9割」なので、ファッションに力を入れるのは、ビジネスにとって極めて有効な方法だと思います。

 

オシャレは相手に対する気遣いであり、自分にとっては自信の源でもあります。

 

海外の街を歩き回る時、あまりにキッチリした服装だと疲れるし、だからと言ってカジュアルすぎると良いお店に入る時に気後れしてしまいます。

 

「さて、どうしたものか?」と、プロのスタイリストに相談したのが、私のオシャレの第一歩でありました。

 

オシャレの基本中の基本は、自分の体の寸法に合った服を着ること。

 

ついついダブダブの服を着がちなのです。

 

私は今までXLかLを着ていたのに(年を取って体が小さくなったのもあるかもしれませんが)先日Mがピッタリなのを発見しビックリしました。

 

 

年齢を重ねる

ビジネスパーソンが中心の、ちょっとした催しやパーティーなどに参加すると、たいていの場合「当日の高年齢ベスト3」の中に入ります。

 

不動産業に従事する、同じ大学のOB・OGのパーティーなどに出席すると、卒業学年順に上座のテーブルの方に座るようになっています。

 

年々、上の席に移動していくのですが、最近は来賓席の隣のような最上席に座らされることが多くなりました。

 

(自分のことは棚に置き)まわりを見渡すと「年寄りばっかりやん」という印象を持ちます。

 

しかしながら年齢を重ねることは、ある条件を満たせば、そう悪いことではなく、私などはどちらか言うとうれしい方です。

 

ある条件とは「健康であること」と「サム・マネーがあること」。

 

観察していると「見かけ年齢」が若い人は、能力的にも体力的にもポジティブ(やる気)的にも、やっぱり若いのです。

 

従って実年齢はほとんど無視して大丈夫です。

 

私は四捨五入すると70ですが、早く本当の70歳になりたいと心待ちにしているぐらいです(70歳以上は所得税をゼロにしよう!)。

 

あと30年ほどはバリバリの現役で働く予定で、実際のところ毎日が忙しすぎ、年を取っている暇がありません。

 

先ほど「サム・マネー」と書きましたが、私など欲が深いので、これを何とか「マッチ・マネー」にしようと日々悪戦苦闘しています。

 

体のケアも怠ることなく、健康増進は究極の自己投資でもあるので、ここに時間とお金をもっと費やしたいと思っています。

 

脳力の方は摩訶不思議なことに、年々良くなっていっています。

 

特に最近開発した「ヨコ勉」のスゴさには驚いており、ルーティンワークや仕事を減らしてでも「ヨコ勉」にもっと時間が割けないものかと考えている最中です。

 

歴史と神社

歴史に興味を持ち出すと、生涯、退屈することがありません。

 

歴史の本だって星の数ほど出ており、読む本に困ることもありません。

 

歴史の知識が増えると、遺跡を巡る旅や、歴史博物館へ行くという楽しみもあります。

 

奈良や京都が政治や経済や文化の中心だったこともあり、関西に住んでいる人間にとってはラッキーで、ちょいと足を延ばせば、至る所で歴史的遺産や建造物を見ることができます。

 

1泊する旅であっても(今まであまりよく知らなかったのですが)クルマで移動するビジネスマンのためのホテルがアチコチにあり、リーゾナブルな価格で泊まることができます。

 

中にはレストランがないというホテルもあるのですが、近くのコメダ珈琲などを探せば問題ありません。

 

清潔でWi-Fiが使え、デスクさえあれば、どこででも仕事や知的作業ができ、1人旅だと高級旅館などより却(かえ)って気楽なのです。

 

神社めぐりも面白いのですが、黒の礼服を着ていった方が神さまのご機嫌がいいようで、また神社は午前中に参拝すべしといった気持ちもあり、いろいろと気を使うことがあって「気楽な旅」とはいかず、多少緊張感もあります。

 

先日、スピリチュアルな感覚に優れた人と話していた折「神社との相性は当然あり、自分と合わない所もあるし、もっと言えば、どうしても入りたくないと思うような神社もある」とのことを聞きました。

 

神社を参拝しても何となく反応がなく「あれっ?」と思うことがたまにあり、これは自分の信仰心が足らないからだと思い込んでいたのですが、そうでもないことがわかりホッとしました。

 

神社訪問を続けていると、もう一度行きたい神社というのが出てくるのですが、それらを10ヶ所ほど探し、伊勢神宮とは別に、月2回ほどの参拝をしていきたいと考えています。

 

 

ワクワク頑張る

高校時代は物凄く頑張り、自分でもビックリするぐらい成長できました。

 

もう一度高校時代に戻っても、あれ以上の頑張りはできないと思います。

 

が、大学時代は、今から考えてもいくらでも工夫の余地はあったように思います。

 

体育会柔道部に入っていたので、1日が練習中心で回っていたのですが、柔道も勉強も「もっと、もっと」できたはずです。

 

いま大学時代に戻るとしたら、それぞれ倍の成果を上げているのではないかと思います。

 

大学を出てサラリーマンになったのですが、社内の付き合いや夜の遊びでムダな時間を随分と使ってきました。

 

自分で会社を始めてからも、それなりに頑張ったものの、大いなる後悔と反省ばかりが残っています。

 

よく倒産もせず生き残ってきたものです。

 

大学卒業から(ほぼ引退の)62歳までの40年間で自分の仕事人生が終わったとしたら、悔やんでも悔やみきれないものがあります。

 

そこでもう30年間働こうと思った次第です。

 

「95歳までバリバリの現役で頑張る」は、そこから出てきた発想なのです。

 

以前の40年間と、これからの30年間を比べると、劣るのは体力のみで、脳力だって、資力だって、経験力だって、自由自在さだって、かつての自分より今の方が圧倒的に上だし、今後はもっとパワーを増すはずです。

 

本を好きなだけ買う余裕もあるし、読んだ本を収納するスペースもあります。

 

1日3時間の読書習慣や1時間の語学勉強も定着し、若い時の10倍の本を読んでいるし、語学力も飛躍的に伸びています。

 

やるべきことを「読書」と「語学」と「投資」の3つに絞り、極めてシンプルライフになりました。

 

70歳代に入っても同じやり方を貫いていくはずで、というか、今よりももっと勉強しているような気がしています。

 

その年代でそれほど勉強している人はいないはずで、それが自分の勝ちパターンにつながっていくのではないかと期待しています。