読書と語学

高校1年生の時から本を読みだし、以降、読書の習慣が途切れたことはありません。

しかしながら本気で本を読み始めたのは、こ10年ほどのことです。

年1,000冊読むには、月84冊読めばよく、長い間そのペースを維持してきました。

しかしもう少し読めるのではないかと、ちょっとずつ冊数を増やしていき、今は月200冊を読破しています。

読書だけしているならそれ以上読めそうな気もするのですが、そうすると語学を勉強する時間が無くなってきます。

私は現役の経営者でもあるので、多少は仕事もしなければいけません。

最近は「比較的難しい本」を「わかっても、わからなくても」読み進めていく「ヨコ勉」が身についてきました。

そうすると今まで手づかずになっていた分野が開拓できるようにもなったのです。

大袈裟に言えば「人生を変える読み方」に出会ったと感じています。

「神たび」もしくは「クルマ旅」に出かけると、必ず学ぶことがあるのですが、あまり行く回数を増やすと「多読」や「語学」の時間が取れなくなってしまいます。

このへんのバランスが“なかなか”難しいのです。

が、人生が短いことだけは間違いがなく、神さまから与えられた時間をムダなく有意義に使っていきたいと考えています。

私は63歳の時にフランス語を、64歳の時に中国語を始めました。

両言語とも「発音だけはうまい」と先生から誉められます(発音だけ?)。

デグチメソッドの教えの中に「自分の頭の悪さにイチイチ落ち込んでいるほど人生は長くない」というのがあり、この言葉に幾度救われたことでしょう。

フランス語、中国語に加え、英語とドイツ語と日本語をプラスした「5か国語ペラペラ」を近い将来の自分の「売り」にしたいと考えています。

 

世の中がどう変わるのか?

今は営業の第一線でバタバタと働いているということはなく「考える」ことが主な仕事です。

投資がメインの事業になってきており、ならば世の中のこれからの動きを考えなければいけないわけです。

東京や大阪の街を観察に行くこともあります。

東京はともかく大阪の街も、半年ほど行かない間にゴロリと様相が変化しており、知らぬ間に超大型ビルや超高層マンションが建っていたりします。

私の投資法は、短期ですぐにリターンを求めるようなことはしないのですが、それだけに世界や世の中の動きの、長期的展望を持っておかなければいけないわけです。

例えば自分自身の考え抜いた「相場観」を持たずに株式投資を行おうとするのは、武装もせずに戦場に飛び込むようなものです。

コツコツと収益不動産を増やし、それらの不動産を手をかけて育てていく方法は、今のところ成功しています。

逆に預金代わりに、毎月一定額を株に投資してきた方法は、今のところ大失敗しています。

株式投資は余裕資金で行わないと、もし生活費や会社の運転資金などで行っていたり、借入れまでして行っていたりしたら、経済活動から即退場となり、まともな生活すらできなくなる可能性があります。

不動産投資だって、インバウンド用のホテルや民泊に資金を投入していたなら、今頃はブログを書いている余裕すらないはずです。

「やること」を考えることは大切ですが、最初に「やらないこと」を決めておくことはもっと大事なことだと思います。

先日、商売の天才のような人の本を読んでいたら、わざわざ高級ホテルに泊まり、その「非日常」の空間で徹底的に考え抜くということが書いてありました。

私も同じようなことをすることがあり、それを読んでちょっと安心しました。

 

体の劣化と頭の進化

95歳までバリバリの現役で働くつもりですが、その時に見かけまで95歳のヨボヨボではアカンわけです。

やはり70歳代の前半に見えないとダメだし、またそうすれば自ずと中身も若返るはずです。

そうするとそれから逆算して、67歳の今も50歳代半ばに見えないといかんということになります。

体型をスリムにしたり、オシャレな服装にしたりすると5歳若く見えたり、姿勢をよくしたり、ヘアスタイルに気をつけたりすると、それぞれ3歳ずつ若くなったりします。

それらの合計で10歳以上若くすれば何とかなるのではないかという作戦です。

体が年齢とともに劣化していくのは仕方がありません。

が、建物と一緒で、常にメンテナンスしたり、必要に応じて大規模修繕したりしていくと、いつまでも丈夫でキレイなわけです。

むしろ手入れの行き届いた古い建物は、落ち着いた雰囲気を醸(かも)し出し、独特のオーラを放ちます。

上手に年齢を重ねていくことは、とても大切なことだと思うのです。

また、こと「体調」だけに焦点を合わせるならば、若い時よりもコントロールが効きやすく、年々良くなっていくということすらあるのです(現に私がそうです)。

体調がいいと、いい仕事ができます。

体調管理はプロの基本中の基本でもあります。

体の劣化に上手く対応していくというのが正解ですが、頭の方は劣化のことなど考えなくてもよく(トレーニングを続けていくなら)間違いなく年々進化していきます。

私のトレーニング法は、趣味も兼ねて「多読」と「語学」ですが、どちらも楽しく頭を使うことができます。

「頭はドンドン良くなるしかない」というのは実感でもあります。

勤勉を楽しむ

人生勝利への道は「勤勉を楽しむ」に尽きるのではないかと思うのです。

自分の人生を振り返ってみても、勤勉である時は幸せで、結構何もかもがうまくいっていたように思います。

あるいは少々具合が悪いことがあっても、勤勉がそれらを打ち破ってしまうといった感がありました。

逆に勤勉さを失うと、途端に生活も仕事も勉強も人間関係も輝きを失っていったように思います。

まわりに勤勉な人たちがいると、自然に影響を受けて自分も勤勉になっていきます。

が、逆もまた真なりで、怠惰さもうつるのです。

これは会社でも同じで、やる気があってよく働く人たちの集団に“たまたま”入ることができるのは、その人の運の良さでもあります。

しかしながら「歯を食いしばって働く」時代は過ぎ、今は「勤勉を楽しむ」時代へと変化しているように思うのです。

目標は当然設定するとして、その過程を存分に楽しまないとモッタイないのです。

目標達成の瞬間だけが重要で幸福だとすると、それまでの努力がすべてその一瞬のためだけに存在したことになります。

そうではなくて努力の過程を楽しんでいけば、その間ずっと幸せではありませんか。

例えば外国語の習得を例に取るとすれば、語学の勉強は地味で時間もかかります。

心の持ち方を間違えると、それは苦痛以外の何物でもなく、だからこそよく挫折するのです。

が、勉強の過程を楽しんでしまうと、状況が一気に逆転します。

「昨日わからなかったことが、今日は分かる」という成功体験の連続となるわけです。

仕事でも勉強でも趣味でも、自分が好きなことを楽しみながら続けていくならば、成功人生にならないわけがないと思うのです。

 

学びたいが止まらない

「学びたいが止まらない」といった状態です。

もともと勉強は好きなほうだったのですが、還暦を超えた頃からその思いが一層強くなってきました。

もし集中して2年間ほど勉強できる大学や大学院があったら行きたいと思うのですが、勉強したいテーマは「歴史」か「神道」か「語学」。

私には週に2回コインパーキングを清掃するという「重要な」仕事があるので、長期間外国に滞在するといった選択肢はあまりありません。

日本史にハマり出してから気づいたのですが、歴史に興味が湧くと「一生飽きようがない」のです。

歴史の本だっていっぱい出ているし、史跡や歴史博物館だって、クルマを使えば簡単に行くことができます。

本を読んで知識を満タンにして、そして現地で確認するという知的作業には無限の楽しみがあります。

自動運転車が普及しだすと、自分の老齢化が妨げになりません。

私は今でも1人でクルマ旅に出かけることが多いのですが、現役の間(一応95歳まで)はそのスタイルを貫けるかもしれず、いい時代に生まれてきた自分の運の良さに感謝しています。

来年から水曜・木曜がフリーで使えるスケジュールになり、今から手ぐすね引いて楽しみにしています。

1泊すればかなりの範囲で、神社や史跡や博物館や美術館や人気のお店を訪れることができます。

従って気がつくごとに「行きたい所リスト」を書いていっているところです。

ナビや自動運転車が発達すれば、ヨーロッパでだってクルマ旅ができるはずです。

その時には40年間勉強してきた英語や、20年間勉強してきたドイツ語が大いに役立つに違いありません(たぶん…)。

 

 

運気のいい不動産

実力もあって、人一倍努力もして大成功してきた人が「成功するには何が一番大切か?」と聞かれ、「運」と答えるケースが少なくありません。

また「運のいい人とだけ付き合う」、あるいは「運の悪い人とは付き合わない」というのを座右の銘にしている人もいます。

私が本で読んだ限りでは、松下幸之助竹村健一がそうです。

現役の会社創業者や社長の中にもそういう方針の人たちが結構いるのですが、ここではあえて名前を出さないでおきましょう。

私の本業は不動産業ですが、不動産にも「運のいいもの」と「悪いもの」とがあります(そのどちらでもないものも多いのですが)。

所有する場合は、運のいい不動産だけにしておかないと、運の悪い不動産を持ってしまうと、次第に本体の運気まで悪くなってしまいます。

当社のコインパーキングのビジネスモデルは、土地から購入して、自社で運営するというものですが、素直で運がいい土地だけを選んで買うようにしています。

一度購入したら早々に売るようなことはなく、長期間一緒に頑張っていく「働く仲間」といった感じになります。

従って愛着もあるし、できる限り掃除もするようにしています。

不動産会社(特にマンション・デベロッパーや建売業)の場合、不動産がB/Sの「流動資産」の「棚卸資産」の項目に来ることがあるのですが、インカムゲインのみを目指す当社の場合は「固定資産」です。

土地は減価償却しないので、キャッシュフローに気をつけなければいけないのですが、少なくとも「稼ぐ力」になってくれているのは間違いがありません。

生活雑貨でも、服でも、不動産でも、お気に入りで、運気の良いモノに囲まれた生活は爽快であります。

画期的「ヨコ勉」

今の状況を一言(ひとこと)で言うと「勉強したい気持ちが止められない」なのであります。

特に「ヨコ勉」を開発してからは、学習モードがより一層進化しました。

理数系や技術系や語学の本は、たいてい横書きです。

横書きの本は机に向かって勉強するという姿勢になり、リクライニングチェアに座って「飛ばし読み」するといった感じとは大分違うわけです。

何かのキッカケで横書きの本も「飛ばし読み」してみたら、結構これが具合良かったのです。

真面目に精読しようと思ったら、もう読む前にハードルが高くなりすぎていて、読むことすら放棄してしまいます。

そのようにしてツンドクになっている本が多数ありました。

「ヨコ勉」では同じテーマの本を「理解できても、できなくても」片っ端から読み飛ばしていくのです。

私の場合、最近では「決算書(会計)」や「不動産の税金」にトライしました。

ヨコ学の肝は「何冊も読んでいく」ということ。

精読しても分からないのに、飛ばし読みなどしたら、もっと分からないのは当然です。

でも気にせず、次々と読んでいけばいいのです。

1冊や2冊読んで分らなくても、5冊や6冊読んだ頃には、何となく分かって来ることがあります。

これが100冊ともなれば、相当わかってくるのではないでしょうか(私は日本古代史をこの方法でマスターしました)。

いい加減な読み方ではあっても「1冊の本を読み上げた」という達成感は得られるので、これが次へのモチベーションへとつながります。

わからないから苦痛であって、わからなくてもいいとなれば、読書や勉強の邪魔をするものがなくなってしまいます。

これは学生時代には全く気がつかなかった学習法で、また一つ新しい武器を手に入れることができました。