中国の歴史にハマる

マンガ『キングダム』を読み、中国史に興味を持ち出しました。

キングダムは「秦」が、辺境の一国家から中国統一に向かっていく時代の話です。

当時、「韓」、「趙」、「魏」、「燕」、「斉」、「楚」、そして「秦」の7つの国があったのですが、秦は他のすべての国を軍事力で滅ぼしていきます。

秦の将軍の1人が主人公で、主人公自身も一番下っ端の兵士から手柄を立てて出世していきます(李信がモデルと言われています)。

教科書では「秦が中国を統一した」の1行で終わってしまうのですが、そこには物凄いストーリーが数多く秘められていることを知りました。

余談ながら、こうして成立した秦ですが、わずか15年で滅んでしまうわけです。

中国を統一した国は「秦」、「漢」、「隋」、「唐」、「宋」、「元」、「明」、「清」、「中華人民共和国」ですが、このうち「元」と「清」は明らかに異民族による支配で、また「隋」や「唐」も皇帝の出自は異民族(鮮卑)と言われています。

「中国四千年の歴史」といっても、途中ブツブツと遮断されていて、全くの別国家になっているわけです。

その点日本は初代神武天皇の統治以来、まだ2,679年の歴史しかありませんが、同じ民族で一貫して継続しています(トップの天皇も同じ血筋で126代続いています)。

日本は独自の元号をずっと使ってきましたが(最初の元号は「大化」で、一番新しいのが「令和」)、独自の元号が使えるのは独立国家だからこそで、朝鮮半島などでは中国の元号しか使うことが許されなかった歴史があります。

日本の危機には神道の神々が素早く動きます。

元寇ではシナツヒコやシナトベの風の神々が神風を起こしました。

唐という巨大国家ができた時、日本は飲み込まれるのではないかと大いに動揺しました。

が、熱田神宮のご祭神が楊貴妃として転生輪廻し、結果、楊貴妃にメロメロになった皇帝玄宗が国を傾けてしまい、日本は支配されずにすんだという話があります。

軽減し、継続する

「多ければ多い方がいい」というのが、今までの日本経済のコンセンサスであり、私自身の思い込みでもありました。

が、量や数を制限するというのも、かなり重要なことではないかという気が、最近強くしてきました(一種の「悟り」ではないかと、自分では密かに思っています)。

月に本を200冊読んでいるのですが、将来250冊にまで増やしたいと、実はちょっと思っていたのです。

が、「ストイック」に200冊で止めておかないと、ほかのことがデキなくなってしまいます。

一往復約200段の階段トレーニングが、極めて有効であることが分かってきたのですが、それも10往復を上限とすることにしました。

これもまた、それ以上すると他のことがデキなくなってしまうし、「もう少しやりたい」くらいで止めておくのが、次に向かってのモチベーションにつながります。

毎日1時間の語学の勉強も(自分の意志で)それ以上することはやめようと思います。

語学の勉強をやっている人はお分かりでしょうが、語学の勉強というのは、時間的にも精神的にもかなりの負担になるのです。

読書でも運動でも勉強でも、一見いいと思えるようなことでも、やり過ぎるのは逆効果となってしまいます。

決まった量を継続的に毎日こなすというのが、どうも「人生勝利のカギ」ではないかという気がしてきました。

数や量を軽減させ、しかし継続させるのです。

基本的には1日も休まずに、今から30年間は続けたいものです。

「本を月に200冊以上読まない」や「階段トレーニングを10往復以上しない」や「語学の勉強を11時間以上しない」と決めると、何だかホッとし、また逆に「やる気」が増してきました。

 

ワクワク人生後半戦

スマホを使いこなせず、ラインやインスタやツイッターにもかかわったことがなく、このまま時代に取り残されていくのではないかという不安がちょっぴりあります。

特にスマホを使って支払いをするのが当たり前のような世の中になった場合、今のままだと生活自体に支障が出てくる恐れがあります。

早い話が、現金を使わない今の中国へ行った時に、ふつうに旅行ができるのかどうかさえ不明です。

かろうじてパソコンだけは何とか使えるのですが、このまま30年間ビジネスや生活がマトモにやっていけるのかどうか、甚だ(はなはだ)心もとない状態です。

が、時代が変わっていっても、いくつかのことはブレずに続けていくはずです。

一つは神道への信仰。

一生、日本の神々をリスペクトしていこうと思います。

死んだあとは高天原(たかまがはら)の門の辺りでウロウロしている可能性が高いのですが、何としてでも中へ入れていただき、神々を崇(あが)め奉(たてまつ)るつもりです。

紙の本で読書する習慣も一生変わらないと思います。

これから30年間、今のペースで本を読んでいくならば、現在のプライベート・ライブラリーの3倍のスペースが必要となりそうです。

これをどうするかは、また追々(おいおい)考えたいと思っています。

「自分は実はお金が大好きだったのだ」ということに気づいたので、生涯お金儲けに勤(いそ)しみたいと思っています。

幸い、どちらか言うと勤勉なほうなので、仕事にも勉強にも精いっぱい頑張っていこうと思います。

バラ色の人生後半戦であることを信じています。

 

フェイスブックで外国語

語学にハマっているのですが、別に外国に友だちがいるわけでもなく、海外でビジネスをするわけでもなく、ならば「なぜ?」ということになるのですが、その答えは私にもよく分かりません。

語学の勉強自体が面白いというのは確かにあります。

「趣味だから」と一言で片づけてもいいわけですが、語学自体を多少何かの役に立てたいという気持ちは当然あります。

フェイスブックでたまに外国人とつながることがあります。

英語でチャットすることはよくあるのですが、先日から、ある中国人女性と中国語でチャットするようになりました。

中国語を勉強しているので、簡単な中国語なら意味が分かります。

また話すよりも読む方が理解しやすいということもあります。

昔は筆談で中国人と「喋って」いたぐらいなので、ふつうに漢字を羅列していけば通じるかもしれませんが、今の中国語と日本語の漢字は随分とかけ離れているのです。

革命後、中国が漢字を簡略化してしまったのもあるし、漢字の持つ意味自体が違っている場合も少なくありません。

また、そもそも日本語では使わない漢字もいっぱいあるのです。

先方から「你的中文说的很棒」というチャットが来ました。

「あなたの中国語は、とても『棒』ですね」ということなのですが、この「棒」の意味が分かりません。

辞書で調べると「なかなかいいじゃん」という意味があるようで、うれしかったし、この「棒」の意味を一発で完全に覚えることができました。

外国人と話す機会なんて滅多にないのですが、フェイスブックを活用すれば、外国語を読み書きするチャンスがいっぱい作れそうです。

また新しい世界が開けそうな気がしてきました。

楽になった分、集中する

ビジネスでも生き方でも「少しでも多く」というのが、今までのやり方でした。

常に今よりも高い目標を打ち出し、それを目指していくのが正しい方法だと思っていました。

が、時代が変わったのか、年齢を重ねたからなのかは、よく分かりませんが、物事には自ずと適正水準があると思うようになってきました。

例えば売上一つとっても、量的な限界というのもやっぱりあるのです。

数字が上がらないからと言って、努力が足らないとは限りません。

売上は市場環境が決めるといった面があり、極めて他律的です。

根性の問題ではないのです。

そんな場合は「売上を上げるにはどうすればいいのか?」に執着するのではなく、「売上が上がらない分、どうすればいいのか?」を考える方が現実的だし、効率的です。

売上が下がっても「営業利益」や「経常利益」や「税引き前利益」が多くなることだってあり、もっと言えば「手残りのキャッシュ」を増やすことだってできるかもしません。

「市場環境の変化に対応して、わが社を変える」というのが経営の要諦ですが、小手先の対処ではなく、内部自体を根本的に変化させるという意味があると思うのです。

デービッド・アトキンソン氏は大きな会社の方が経営力に優れ、経済的な貢献度が高いことを述べています。

私もその通りだと思うのですが、逆に小さな会社は経営力がいらなくていい分、会社のマネジメントに費やすエネルギーを、もっとほかのことに使えると思うのです。

余計なエネルギーを使わなくていい分、経営者が意味のない遊びなどにウツツを抜かすのは論外ですが、本気で面白い会社にしていくことができるはずです。

どんな会社にするのかは「経営・人生統合計画書」に向かってジックリと考える必要があるのですが…。

 

お金のことを勉強する

お金のことをモロに口(くち)に出すのはハシタナイという気持ちがあります。

「武士は食わねど高楊枝」的な感覚がどこかにあり、「お金儲けしたい」とか「お金が大好き」などと言うと、ちょっと浮いてしまいそうです。

が、そういったことも含めて、心のリミッターを外していきたいものです。

お金儲けや蓄財などは、この世的に物凄く大事なことなのに、無関心な人が多いし、学校でも習いません。

やっぱりお金の勉強をしないと、お金は入って来ないし、また貯まりません。

スポーツなどでもオリンピック選手のほとんどは、小学生の時からそのスポーツに取り組んでいます。

始めるのは若ければ若いほど有利です。

投資も同じで、早くから関心を持っていると、それだけ投資マインドや技術の習得が早くなります。

カリスマ投資家には、小学生や中学生の時から(お小遣いを貯めて)株を買っていた人が少なくありません(さすがに不動産投資はムリですが)。

かぼちゃの馬車」の投資家たちを見ると、年収の高い「勝ち組」のサラリーマンがたくさんいます。

が、罠(わな)のある投資で簡単に失敗しています。

本業はスゴ腕でも、不動産投資では小学生レベルといった人が多いのではないかと思います。

勉強も調査もせずに、いきなり億を超える借入れをしての投資は、さすがに無謀と言わざるを得ません。

私は不動産と株以外の投資は一切しないつもりです。

その2つ以外のことまで勉強する時間がないし、「自分が分からないことには手を出さない」のが投資の原則でもあるからです。

そのかわり不動産と株については徹底的に勉強していこうと思っています。

 

ミリタリー

日本の海軍は薩摩藩から生まれ、陸軍は長州藩から生み出されました。

軍隊言葉で「~です」を「~であります」と言いますが、これは長州の方言なのだそうです。

日本陸軍には3人の天才がいるのですが、それは大村益次郎児玉源太郎、そして石原莞爾(かんじ)です。

大村益次郎帝国陸軍の父ともいうべき人で、児玉源太郎日露戦争の立役者、石原莞爾満州国の創設者でもあります。

維新での軍事的成功は大村益次郎なくしてはありえません。

残念ながら暗殺され、45歳で亡くなっていますが、その銅像靖国神社で見ることができます。

日露戦争が勃発した時、誰も日本が勝つとは思いませんでした。

しかしメッケルがいたドイツ参謀本部だけが日本勝利の予想を立てていたそうです。

その理由は「軍事的天才の児玉源太郎がいるから」とのこと。

それほど高く買われていたわけです。

実際、児玉源太郎がいなければ、日露戦争での勝利は覚束(おぼつか)なかったはずです。

石原莞爾も当時から天才として周りから認められていた存在ですが、東条英機と仲が悪く、終戦時は左遷されており、そのため戦犯にはなっていません。

今の日本の軍組織を揶揄(やゆ)した言葉があります。

陸上自衛隊は「用意周到・頑迷固陋(がんめいころう)」で、海上自衛隊は「伝統墨守(でんとうぼくしゅ)・唯我独尊」、航空自衛隊は「勇猛果敢(ゆうもうかかん)・支離滅裂」、ついでに統合幕僚会議は「高位高官・権限皆無」なのだそうです。