「今、幸せかどうか?」

昨日読んだ本『成功のメンタリズム』(藏元天外・実業之日本社・1,400円)の「はじめに」のところの文章にビビンと来ました。
少しコピーしてみます。
*「はじめに」より
春の風がカーテンを揺らした時、何だか幸せを感じます。
またベッドの上で伸びをしたら、隣で寝ていたネコが一緒に伸びをして、幸せだなと思います。
こうした日々の幸せな気持ちを感じることは、私たちの人生において一番大切なことです。
それも、「今、幸せかどうか」です。

ここからは私の文章です。
私自身を振り返ってみても「今、幸せかどうか」はあまり考えてこなかったように思うのです。
せかせかと幸せを求めて動いているのに、その瞬間瞬間が幸せかどうかを問わなかったのは逆説的です。
何かを得たり、達成したりして初めて幸せになるのではないのですね。
達成への過程こそが大切で、そこに幸せがいっぱい詰まっているのかもしれません。
過程を蔑(ないがしろ)にして目標を達成しても、そこには一瞬の喜びしかないかもしれないのです。

「目標」というと、今の自分よりもずっと高いところにあり、一段一段登っていかなければならないイメージがあります。
それに対し「ゴール」は、今のまま歩いていたら、そのまま到達できるイメージ。
「目標」は自分の努力によって達成できるといった感じですが、「ゴール」は(自分の努力以外の力によって)当たり前に到達できるという感じがあるように思うのです。
歯を食いしばって「目標」達成を目指すというよりも、自然体で飄々(ひょうひょう)と、楽しみながらゴールへ向かう生き方の方が、今の私にはピタッと来ます。

私も努力は好きだし、どちらかと言うと「努力人間」に属するほうだと思うのですが、努力よりももっとすごいパワーがあるのです。
自分の努力以外の力のことを、仮に「潜在意識のパワー」と呼んでみたいと思います(潜在意識は宇宙とつながっているので「宇宙パワー」と呼んでもいいのですが)。
潜在意識のパワーに比べると、努力のパワーなんて何十分の一にしか値しないような気がするのです。

早い話が、運が悪ければ何をしても上手くいきません。
運とは神様に愛されること。
要は憎たらしい顔をしていくら努力していても、願いは成就しないということなのです。
あるいは仮に成就したとしても、その過程がずっと不幸であっては、あまり成就の意味がないように思えるのです。

目標達成だけが幸せであるとしたら、その過程はすべてそのための犠牲の時間ということになってしまいます。
また失敗した時は、今までの努力はすべて水の泡ということになります。
過程を存分に楽しんでいく生き方こそが、真の成功人生だと思うのです。

日々の生活に感謝し、満足し、しかし「やるべきこと」は淡々と楽しんでやっていく。
そうすればその過程も満足だし、達成したあとも幸せに違いありません。
人間は幸せになるために生まれてきました。
「一刻一刻の幸せ」をつないでいった人生が成功でないわけがないのです。