仕事と信仰

勤勉が人生を勝利に導くのは間違いがないのですが、勤勉に働いたり勉強したり出来ること自体が、実にありがたいわけです。
そもそも健康でなければ勤勉などあり得ません。
自分だけでなく家族の体の具合が悪いだけで、もう集中して仕事したり勉強したりすることが叶(かな)わなくなってしまいます。
そう考えると、当たり前に「勤勉」出来ることが、とてつもなく有難い(確率的に低い)ことであると思うのです。

その有難いと思う気持ちが、私の場合は天照大神(アマテラスおおみかみ)への感謝ということになります。
50歳代になってから神道を尊ぶ気持ちが強くなってきました。
ミッションスクールだったのでキリスト教にも正面から取り組んだし、30代、40代は仏教を独学しました。
しかし神道(しんとう)が一番ピタッとくるのです。
その神道の中でも伊勢神宮を信仰の中心に据(す)えています。

会社を30年以上経営しているのですが、思いもよらない困難と遭遇することがあります。
そんな時は信仰なくして切り抜けることが、少なくとも私の場合は難しかったように思います。
あるいは信仰ゆえに、事故や災難から会社が守られているということが、実際にあると思うのです。

会社は「見える化」する工夫が大切だし、さまざまなことを数字でとらえることも大事です。
しかしながら「見えない世界」を信じる力もどうしても必要だと思うのです。
随分以前のテレビの番組で、宮尾すすむさん(故人)というタレントが色んな会社の社長を取材していく「日本の社長」というのがありました。
番組が終了した後、宮尾さんが「取材した会社の中には既に倒産したところもある。しかし繁栄が続いている社長の共通点は、自宅に仏壇があることだ」と述べていたことが印象的でした。

私にとって、どうしてキリスト教や仏教でなく神道かと言えば、これはもう相性としか言いようがありません。
あるいはご縁と言い換えてもいいかもしれません。
自分が大和民族の一員であることに誇りを感じるので、やはり日本の神様が一番しっくり来るのだと思います。
なぜ伊勢神宮かと言えば、実際に神宮に行って感じたフィーリングと言うしかありません。
先日「本殿遷座祭」に参加させていただいた出雲大社では、自分はゲスト(部外者)だという感が最後までありました。
これが伊勢神宮だと「わが家」に戻ってきたという気持ちになるのです(参拝中は緊張するのでありますが…)。