言霊(ことだま)と霊力

高校がミッションスクールだったので、聖書はよく読みました。
「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり。言葉は神なりき」という聖書の言葉は印象的です。
なぜこの言葉が聖書の冒頭に出てくるのかが、まことに不思議です。
言葉は極めて大切ということは分かりますが、ひょっとしたら、言葉が出て初めて「この世の実体」が形づくられるということなのかもしれません(つまり「言葉」の方が「実体」より先)。

この場合「言葉」というのは「理念」と同じ意味を持ち、天上界に既に存在する「理念」が「言葉」を通じて、この世のものを形づくっていく、あるいは影響を与えていくということなのです。
つまり「実体」を言い表すために言葉があるのではなく、言葉によって実体が生み出されていくというのが真理なのかもしれません。
(哲学的なことを表現するのは本当に難しいですね。)

日本語においては「言葉は言霊(ことだま)」。
言葉には力があり、いい言葉を発していく人には幸運が舞い込んで来るし、悪い言葉やレベルの低い言葉ばかりを発する人には、それなりの人生しかやって来ないというのは、確信を持って言えることでもあります。
自分が発した言葉に、自分が影響を受けるのですから、そうなりゃ「いい言葉」しか出すべきではないというのは、ちょっと考えれば誰にでも分かる話であります。
人が幸せになるのは実に簡単。
いい言葉ばかりを口にすればいいだけなのです。

日本語が「言霊(ことだま)」なら、漢字は霊力。
漢字には霊力が宿っているというのは、ゼッタイ本当なのです。
それが証拠に、極めて漢字能力の低い総理大臣は自分が辞めなければならなかっただけでなく、大事な政権まで崩壊させてしまいました。
漢字が持つ霊力を甘く見たからです。
中国共産党は漢字を実に安易に簡略化してしまいました。
今の中国本土が使う漢字では、伝統的な漢詩は作れないと思います。
簡略化した漢字で書いた揮毫では全くありがたみがありません。
いたるところで文化や伝統の断絶が起こっているのだと思うのです。

漢字を簡略化し、漢字が持つ本来の霊力を歪(ゆが)めたものだから「文化大革命」のような酷(ひど)い集団ヒステリーが起こってしまったのに違いありません。
「漢字の簡略化が文化大革命を引き起こした」と私など本気で思っています。