素直に喜ぶ

仏教の根底には悲観論があります。
お釈迦さまが人生の虚しさに悩み「生老病死」との格闘からスタートしているからです。
諸行無常諸法無我涅槃寂静」は仏教の根本教義。
諸行無常は「すべてのものは移ろいゆく」との教え。
諸法無我は「すべてのものは本来の形がない」との意味。
諸行無常は時間論。
諸法無我は空間論。
そういった虚しい時空を超えて、悟りによって「涅槃(ねはん)」という静かで落ち着いた安らぎの境地を得ることが出来る。
それが「涅槃寂静」。

仏教の教えはとても深いのですが、一方、神様から与えられた時間や環境を「虚しい」などというのは、神様に対して申し訳ないと思うのです。
与えられたこの身このままを素直に感謝する心…それこそが日本神道の真骨頂ではないでしょうか。
神様は悪いようにはなさらないのです。
神様から降り注ぐ光を、喜びを持って受け止めていけばいいだけの話なのです。

ちょっと話のレベルが落ちてしまうのですが、
うちのワンちゃんは、レトリバーという犬種の性格もあるのでしょうが、気持ち的に悪意のカケラもありません。
人間でも犬でも、こんな素直な心を持っているなら「天国へストレートに帰れること間違いなし」と思ったりもします。
日本神道の教えも同じことなのです。
心の中から余計なものを取り除き、シンプルできれいな心にすればいいだけなのです。

日本神道の教えは実にシンプル。
要らぬものを削ぎ落としたシンプルさに価値を見出すのが、大和民族の極めて優れた特徴でもあると感じるのです。
伊勢神宮は日本の神社を統(す)べる神社の中の神社。
だから唯一「神宮」と呼ばれるのですが、その正殿の実にシンプルなこと。
おまけに20年に一度、隣の場所に立て替え、移動するのです(式年遷宮と言い、次は4年後に行われます)。
これはまことに不思議な発想でもあります。
天に向かって威容を誇る、キリスト教の大聖堂と比べれば、その違いはハッキリとしています。

せっかく日本に生まれ、パワースポットでもある日本の神社を巡らないのは、まことに勿体(もったい)ないという気がしてきました。
特に関西には歴史的な神社もたくさんあります。
それらの神社の良さを本で残していくのが、これからの人生の自分の役割ではないかという気がしてきました。