5年前とは違う自分

5年前の自分と、今の自分とでは、明らかに違っているものがあります。
例えば伊勢神宮への毎月の参拝などは全く行っていませんでした。
平成25年(2013年)10月2日に内宮(ないくう)での遷御の儀(せんぎょのぎ)があり、そこから毎月お参りに行くようになったのです。

宿泊するホテルは1年前から予約できるので、1年後の参拝日程まですべて決まっています。
毎月丸2日間を参拝に費やしているのですが、少なくとも次の式年遷宮(18年後)まで欠かさず行く予定にしています。
次の式年遷宮では私は80歳で「働き盛り」のはずです。

次の式年遷宮で寄進させていただく金額も決めているのですが、それに向かって毎月一定の金額を積立てています。
毎回少額でも20年間積み立てると結構な金額となり、計算上は悠々と目標額をクリアできるはずなのです。
実は次の次の式年遷宮の参加も密かに狙っており(私は100歳)、その時に寄進する金額ももう既に決めております。

ほかに5年前の自分になくて今あるものは「ファッションへの目覚め」であります。
男は外見ではなく中身だとずっと思い込んでいたのですが、それは大きな間違いでした。
まずは肝心の中身自体がスカスカでした。
また最近「人は見た目が9割」が真実であることにも気がつきました(これが外国だと10割)。

ファッションは自分のためというよりも、まわりの人たちのためにすべき礼儀であり「愛」でもあると気づいたのもここ2,3年の話です。
食事一つするにしても、小汚いジイさんよりもダンディな紳士と一緒の方がまわりはうれしいはずです。
最近、英語で署名するときは「 DANDY GUCCI 」と書くようになりました。

ファッションに目覚めると、自分に似合う服装が段々と分かってきます。
例えば私の場合、余りに崩しすぎると似合わず、どこかで「キッチリ感」を出さないといけないようです。
いろいろ試してみて、私にとっての究極のファッションは羽織袴でありました。

私に限らず日本の男性が一番カッコよく見えるのは羽織袴に決まっています。
着付けのスクールにも通い、人にも教えてもらい、遂に羽織袴を一人で着ることができるようになりました。
これは極めて大きな成果であったと思っています。

多読や語学も5年前に比べると格段に進化しています。
中身的には別の人間かと思うほど、いろんな面で変化もしています。
変化しないと飽きてしまい、人生面白くないのであります。