海外組は、欧米諸国の国力の根底には、商業や工業の発展があることを、はっきりと認識していました。
しかし西郷にはそれが分らなかった。
西郷隆盛は、士農工商の「士」のストイックな精神性や「農」の勤勉性は、高く評価していましたが、「工」や「商」はなんとなく胡散臭いものとして、その大切さが理解できていなかったたように思います。