2012-03-24から1日間の記事一覧

「旅順ヤマトホテル」の隣では、露店の市場がありました。「昔の中国」が残っています。

旧「旅順ヤマトホテル」。ここで「東洋のマタハリ」と呼ばれた川島芳子が結婚式を挙げました。今は建物はボロボロで見る影もありません。

乃木将軍とステッセル将軍との「水師営の会談」があったところ。

はるか向こうに見えるのが旅順港。もっと近くに位置しているのかと思っていました。

203高地を陥落させた日本軍は、ただちにこの280mm砲などを備え付け、旅順港に向けて砲撃。停泊中のロシア艦隊を壊滅させました。

乃木大将のご次男が戦死した場所。203高地の頂上まであとわずかの場所でした。203高地の戦いで、攻める日本軍は16,936名もの死傷者を出しています。一方、守る側のロシア軍は約5千名の死傷者でした。尊い命に黙とう。

日露戦争での大激戦地だった203高地に上ってきました。ロシア軍の塹壕のあとです。203高地は「高度203m」から名付けられたのですが、最初は206mあったとのこと。それが猛烈な砲撃により3m低くなったのだそうです。また今は木々が茂っていますが、日露戦争の時は木が全く生えていなかったとのことです。

旅順駅。とても小さな駅でした。ロシア風の建物です。

旅順にて

大連から旅順へは車で1時間ほど。 日露戦争の本には必ず出てくる「203高地」へ向かいました。 見学に行った日は天気が良く”のどか”な日でしたが、108年前、203高地では壮絶な戦いが繰り広げられていました。