2007-06-02から1日間の記事一覧

淡々と飄々と“ほどほど”に。 でも結果として、圧倒的な仕事量。 これで95歳まで行くとしますか。

「ほどほどの生き方」に勝てるものは、ちょっと見当たりません。 史上最強のものが、実は“ほどほど”なのです。 懸命の努力を淡々と続け(楽しんでいるから、それができるのです)、何者にもとらわれずに飄々と生きる。 上りきった強さではなく、“ほどほど”の…

天意に副(そ)わない存在ならば、いずれ滅ぶでしょう。 それが宇宙の法則というもの。 宇宙の法則まで、自分の意のままになると思うのは傲慢。 だから法則に任せてしまえばいいのです。

それに何も自分だけが正しいわけでもないのです。 それぞれの人には人の立場があり、環境があるのです。 どうしても理解しなくてはいけないこともないけれど、「まあそんなこともあるかもしれない」と飄々と流していけばいいのです。 自分は自分、人は人。 …

人生の途上で、気に入らぬ者との出会いもあるかもしれないけれど、放っておけばいいのです。 気に入らぬものを自分の心の中で、しっかりとつかんでいることもないではありませんか。 自分の心から解き放ってしまえばいいのです。

努力のところを御座なりにすると、これはいい人生になりようがない。 やっぱりここは外(はず)すことが出来ないのです。 しかし努力したからといって、見返りを求めなければいけないこともないのです。 見返りがないといけないなんて思い込んでいるから、心…

努力の時点で十分に楽しんでしまえば、結果に執着することもありません。 鍵山秀三郎先生がよくおっしゃるのですが、「自分勝手な目標をこしらえて、勝手に苦しんでいる」。 目標自体も本当に自分が望んでいることなのかどうか疑問です。

「執着を持って事に当たれば成就する」という考えもあるかもしれませんが、執着を持ちすぎると「いい人生」にはなりにくいのです。 自分の希望が天意にそっているならば、物事が“すっす、すっす”と進んでいきます。 やるべきことは淡々とこなしていく。 しか…

淡々と飄々と”ほどほど”に

老子の教えは無為自然自分がこうしたいと思っていても、何かしらうまくいかないことがあります。 その時はそれが天意と考え、無理せずに方向を変えたり、時間をずらしたり、我慢したりするのが得策であることも多いのです。