吉野への遠足 その1

地名の「吉野」といったとき、何を思い浮かべるかというと「奈良県の山奥」、「吉野杉」、「南朝の本拠地」、「ダイワハウスの創業者の出身地」などです。

 

大海人皇子も、天智天皇から距離を置くため、確か吉野に移っていたはずです。

 

吉野は後醍醐天皇が京都の花山院から逃げ、仮の居をかまえたところでもあります。

 

足利尊氏は別の天皇を擁立し、そこから南北朝時代が始まります。

 

南朝が劣勢であったのは間違いがないのですが、どうして室町幕府軍が南朝を制圧できなかったのかが、ずっと疑問でした。

 

今回、吉野へ行き、地形的に攻めにくい場所というのがよくわかりました。

 

また足利幕府側にも内部でいろいろと問題があったり、地方の武士団の中にも南朝を支持する勢力があったりし、簡単には統一できなかったようです。

 

出雲大社でも南北朝をそれぞれ支持する勢力に分かれたようです。

 

鎌倉幕府だって壊滅したあと、北条時行が再建を目指し、なんと一度鎌倉を制圧しているのです(足利尊氏によって、すぐに反撃され、撤退したのですが)。

 

北条氏は後醍醐天皇にとっては敵だったはずですが、どういうわけか南朝側につきました。

 

足利尊氏足利直義(ただよし)の兄弟は、最初は仲が良く、2人が軍事と政治を分担し、大変うまくいっていました。

 

が、いろいろなことが重なり、直義は離反し、これまた南朝方についたりしているのです。

 

南北朝が統一されるには、その後60年ほどの時間が必要でした。