老後は「愛嬌」

「頑張る」という意味ではソコソコの努力を注いできたのですが、それとは別に自分に足らないものがあり、それは「愛嬌」だということに気がつきました。

 

これからますます年を取っていくのに、頑迷で孤高の老人になってはいけないのです。

 

話しかけにくい「偉い人」に収まってしまっては、晩年、自分自身が損なのです。

 

資産や教養を鼻にかけて、自分より劣る人を馬鹿にするような生き方をしていては決して幸せにはなりません。

 

女性は男性よりもコミュニケーション力(りょく)が強いので、年をとっても社会になじんでいけます。

 

が、一方、例えば一流企業を退職した男性は、仕事や会社内のお付き合いばかりやってきて、晩年も「部長」しかできないのでは寂しすぎるのです。

 

私は自分の小さな会社を持っているので、定年とは無縁で、定年を境に環境が激変するということがないことに深く感謝しています。

 

自分の小さな会社だと、それを軸にマイペースで働け、いつまで働いても「老害」と言われることがありません。

 

今まで私は上昇志向が強く、特に若いころは脇目も振らず働いてきました。

 

自分が尊敬できる人だけはマークするのですが、それ以外の人たちに対してはほとんど関心がありませんでした。

 

今まで「愛」がなかった分、今後は「愛嬌」で取り戻していきたいと思っています。