英語が読めるカッコよさ

9年ほど前に書いたブログを読み返しているのですが、60歳代の9年間に随分と自分自身が成長していることを知りました。

 

普通なら60歳代はピークを完全に過ぎ、下降一路といった感じですが、気持ち次第でいくらでも成長していけることが分かりました。

 

この事実を自分一人で喜んでいるのではなく「人生百年時代」に向けて、まわりにも刺激と影響を与えていこうと思います。

 

ひょっとしたらそれが私の使命かもしれないという気がしてきました。

 

先日「なりたい自分」を考えたときに、今がその「なりたい自分」だと気がつきビックリしたことがあります。

 

が、もう一段うえの「なりたい自分」が見えてきました。

 

それは「英語が(日本語のように)読める」自分です。

 

以前の「仏語、独語、英語がペラペラになる」という目標には実は違和感があったのですが、それを「各言語の新聞が読める」に変えたとたん、スコンと腹落ちし、具体的な努力を毎日続けるようになりました。

 

英語など50年近く格闘しているのに、いまだにイマイチなのは目標が間違っていたからだと思います。

 

日経ビジネス』や『週刊東洋経済』や『週刊ダイヤモンド』などの日本語の経済誌は抵抗なくスッと読めるのに、『The Economist』のような英語の雑誌に対しては、読もうとするときに最初からちょっと気が重いものがありました。

 

その心のバリアを外せるようにしたいと思います。

 

英語で色んなものが読めると、情報量や情報のスピードが違ってきます。

 

第一、英語がスッと読めるなんて実にカッコいいじゃありませんか。