天智(てんじ)天皇は日本史の教科書に必ず出てくる天皇でもあります。
「中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が藤原鎌足らと計らって蘇我氏を打ち滅ぼした」という歴史を、おぼろげながら覚えている人もいると思いますが、その中大兄皇子が後の天智天皇です。
中大兄皇子が蘇我入鹿(いるか)を暗殺した事件を「乙巳の変(いっしのへん)」と呼んでいます。
有名な「大化の改新」は中大兄皇子によって行われた政治改革です。
その後、同盟関係にあった百済を助けるために、唐・新羅連合軍と戦いますが、ボロ負けしました。
それが白村江(はくそんこう)の戦いです。
そのあとも唐が攻めて来る恐れがあったので、都を近江・大津(近江大津宮)に移しました。
額田王(ぬかたのおおきみ)はぜひ一度会ってみたい女性の一人ですが、やはりこの時代の方です。
天智天皇が亡くなったあと、この二人が戦い、大海人皇子(おおあまのおうじ)が勝利します。
これを壬申(じんしん)の乱と言います。
関ケ原周辺が主戦場だったようですが、徳川家康と石田三成との戦(いくさ)も「関ケ原の戦い」で、関ケ原で2度も天下分け目の戦いが行われたわけです。
神宮と名がつく神社は、天皇家との結びつきが深く、格の高い神社ですが、近江神宮も実際に訪れてみると、予想以上に立派な神社でした。
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この門をくぐって入ります。
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本殿。
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境内。
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時計の一種です。
この時代に初めて時間が国家によって管理されるようになったとのことです。
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日時計。
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近江神宮は「時計」や「かるた」とも関係が深い、ユニークな神社なのです。