体重は“ちょくちょく”計ることがあっても、身長を測ることは滅多にありません。
年いってから、何かの機会に身長を測ると「自分が記憶していた身長よりも5センチも低かった」という経験を、聞いたり読んだりしたことがありますが、誰しもかなりのショックを隠せないようです。
まさに老いを自覚せざるを得ない瞬間でもあります。
で、私も5センチとは言わないまでも「自分の身長」よりも低くなっておりショックでした。
学生時代は体育会柔道部にいたので、服はずっとLかLLを着ていたのですが、最近はMでいけることに気がつきました。
足のサイズも小さくなるようで、今までの靴がピタッとしなくなります。
お気に入りの靴が多いので、捨てるのには忍びなく、中敷きを入れてシックリする大きさになるように調整しました。
邱永漢さんの本を読んでいて「耳が遠くなったのは想定外だった」ということが書いてあったのですが、老眼は覚悟していても難聴まではだれしも想定していないはずです。
私はバキバキにアンチエイジングの研究・実践を行っているのですが、アンチエイジングの隙間から忍び寄る「老い」には抗しがたいものがあります。
ならばいっそ「老い」と寄り添いながら生きていくという方法もあるのですが、そこはやはり現役ビジネスマンとしての意地があり、つい「若づくり」したくなるわけです。
長生きのリスクというのも間違いなくあり、「いつまで貯蓄が持つか」とか「子供たちより早く死ねるか」というのは、結構深刻な問題なのです。
「親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」は一休さんが書いた「めでたい」揮ごうですが、順番に死んでいけるほど有難いことはありません。