田中一村(たなか いっそん)

滋賀県に佐川美術館というのがあり、
そこで「田中一村」展が催されています。
珍しく妻と2人で見に行ってきました。

クルマがあると電車の乗り換えもせずにすみ、
少々離れたところでも行くのが苦痛でなく、
非常にフットワークがよくなります。

若い頃はあまりクルマが好きではなかったのですが、
ナビの発達で目的地に簡単に行けるようになってから、
俄然クルマを活用するようになりました。

クルマの中でCDで勉強できるのも、予想外のメリット
でした。

ふだん、家でも会社でも、CDカセットを前にして
じっくりCDを聴くなんてことは“まず”ありません。

しかし運転中はCDを聴くぐらいしかやることがない
というのが、逆に幸いし、極めて有意義な勉強時間
となっています。

さて、田中一村東京美術学校東京芸大)で
東山魁夷と同期の画家です。

7歳の時に描いた絵も展示してありましたが、
間違いなく「神童」もしくは「天才」の絵でした。

ただ人生全般を眺めると不遇で、生涯1枚の絵も
売れなかったゴッホに近い感じがします。

田中一村は、もともと南画(水彩画)の画家だった
のですが、奄美大島に移住してから、絵が一挙に
ゴーギャン化」するのです。

最初からそういった画風であれば、一世を風靡した
世界的画家となっていたかもしれません。
(まだその可能性はありますが)

ピカソは4回も結婚して、世界的な名声も得て、
お城に住むほど裕福な画家でした。

東山魁夷もすべての面でバランスの取れた
豊かな人生を歩んだ画家だと思います。

貧しく孤高であった田中一村も、
もう少し活動時間が長ければ(寿命が長ければ)、
大ブレークして「一発逆転の人生になっていたかも
しれないな」と思いながら見ていました。