目標設定の難しさ

私は意図して大ぼらを吹いているところがあるの
ですが、それを目標に設定して拘(こだわ)り過
ぎると、ちょっと「重い未来」になってしまうことが
あります。

目標達成だけがすべてではなく、その過程がとて
も大事なのだと思います。

確かに目標がハッキリしていると、道草も食わず、
遠回りもせずにすむという大きなメリットがあり
ますが、その目標に向かう過程の方がずっと大切
であることは間違いがありません。

目標達成の一瞬のために、すべての過程を犠牲に
するのは本末転倒ではないでしょうか。

苦痛で顔をゆがめる連続が、目標達成のための唯
一の手段であるとしたら、そもそもその目標自体
が間違っているのではないかという気もします。

そのためにも目標(夢もです)を書いてみるとい
う作業を何度も行い、目標のイメージや、そのた
めの手段を明確にさせていく必要があるのだと思
います。

先日、体調を崩して苦しい思いをしました。

その時、資産300億円と健康のどちらかを選ぶと
したら、明らかに健康を選ぶのは間違いがないと
思いました。

ついつい年収や資産のことで大ぼらを吹いてしま
いがちなのですが、健康や家族の方が余程大事な
のだということを痛感しました。

自分が努力して手に入れるものよりも、神さまか
ら普通に与えられているものの方が、数百倍価値
があるということに、気がついた人から幸せになっ
ていくのかもしれません。

「結果は神さまにお任せ。しかし淡々とした努力
は続けていく」といった生き方あたりが、正解で
はないかという気がしています。

「目標は大きい方がいい」というのも一種の思い
込みかもしれず、さりとて「大きな目標を掲げな
いと、小さなことすら達成できない」というのも
真実かもしれず、ちょっとその辺のバランスが今
のところよく分かっていないのです。