ミュンヘンへの旅 その3

あれだけ熱心にドイツ語を勉強しているのだから、ドイツに来たからには“さぞや”ドイツ語を話しているものと思っていたら、さにあらず。
意外にも”ほとんど”しゃべっていないのです。
なぜかというと、ホテルでもどこでも英語で話しかけてこられるからです。
英語で質問されると、反射的に英語で答えてしまいます。

おまけにちょっと込み入った話になると、どうしても英語を使わざるを得ず、その時点でドイツ語はギブアップ。
またちょっと焦った状態になると、頭の中は英語しか出てきません。
これではドイツ語学習の意味がないではないかということですが、一つだけ「ドイツ語をやっていてよかった」というメリットを見つけました。

それは街で見るドイツ語の看板や標識がすべて読め、ほとんどの意味が分かるということです。
昔、ハンガリーブダペストに初めて行ったときに、街の中で見かける文字が全く分からず、心細い思いをした経験があります。
文字が読めないのは、言葉が分からない以上に「異国感」が強いのです。

海外へ行ったときに、日本にいる時には持たない「非日常時間」が出てきます。
例えば、時差によって夜中に目が覚めることです。
この場合、朝までたっぷり時間があるわけで、その時間を「有効活用」しないと勿体(もったい)ないのです。

私の場合、思索にふけることもあれば、読書することも、またパソコン相手に仕事することもあります。
こういった時に、新しいアイデアやインスピレーションを得ることが多いのです。

これは欧米に1人旅したときに、よく体験したことですが、話す相手もいない異国の地で、夜中に1人で本を読んでいると、そんな時に限って感動する本と出会う確率が高いのです。
胸を熱くしながら、本を読みふけっておりました。

今回のミュンヘンの旅の「収穫」は、今後しばらくは地道に今の仕事と勉強を続けていこうと、改めて決意したことです。
次のステップへのアンテナは常に磨いておくことは当然として、もう少し財務や法律の勉強もしていかなければならないと感じています。

「孤高を恐れず勉強していく」といったところでしょうか。
勉強の邪魔になる時間は手放していくつもりです。