志は高く、腰は低く

「志は高く、腰は低く」でいきたいと思っています。
「志」の方は高いか低いかはわからないのですが、ほとんど「妄想」に近い夢をいっぱい持っています。

たぶん腰も低いと思います。
お店で「自分は客」だからと、店員にエラそうな言葉づかいや態度で接する人がたまにいますが、私が最も軽蔑するタイプです。
私は誰に対してもキチンとていねいな言葉づかいをするように心がけています。

「やるべき小さなことを一つ一つクリアしていくのが、遠くへ行く唯一の方法」とイチローも言っています。
私はシンプルライフを目指していますが、基本のところで手を抜くことはありません。
例えば、机のまわりがグチャグチャに乱れているのに、いい仕事ができるわけはないのです。

小さな例を言えば、自宅に帰ったら、まずは手を石鹸で洗おうと思います。
そうすれば細菌やウィルスで、体調不良や病気になる確率が、例え数パーセントでも減ると思うのです。
また腹八分目にし、食べ過ぎなければ胃腸の負担が減り、その分体調がよくなると思うのです。

夢に向かって努力をするのは当然のこととして、その過程を存分に楽しもうと思います。
その過程を散々楽めば、仮に夢が実現しなくても十分元が取れてしまっているのではないでしょうか。
ひょっとして夢が実現したら、よりラッキーだということだけの話なのです。

つまり夢は実現すれば儲けもの、実現しなくたってその道中が十分楽しいのだから、やっぱり儲けもの。
どっちに転んでも超ハッピーなのです。
が、夢を持たないと、何も楽しめません。
「夢が描ける」というのは、案外一つの才能かもしれないと、最近思うようになりました。

夢は紙に書くと、実現の確率がグンと高まります。
潜在意識のそのまた奥に潜(ひそ)守護神や、あるいは言霊(ことだま)の神さまが、紙に書かれた明確な夢を実現させないわけにはいかないと動き出すのかもしれません。
いずれにせよ、当人の努力を超えた何らかのパワーが応援してくれることだけは間違いがありません。

だから私たちのやるべきことは、まずは夢を明確にするということと、努力の過程を存分に楽しむということだけなのです。
人生に勝利する方法は実に簡単。
だけど、こんな簡単なことも結構できていなかったりするのです。