本がくれるパワー

「大学を退職後も良い本をいっぱい出版する元教授もいれば、退職とともに全く鳴かず飛ばずになる元教授もいる。この差は一体何だろう?」と若い頃の渡部昇一先生は考えたわけです。
そこで得た結論が「前者は自宅に蔵書を抱えているが、後者は手元にそういった本を持っていない」というものでした。

それが渡部昇一先生の超ベストセラーである「知的シリーズ」の要点なのですが、若い頃に渡部先生の本を読み、影響を受けた人は少なくないはずです。
私もちょうど大学生の頃だったので、自分の書斎や書庫を将来必ず持つことを強く念じました。

それが今、地下図書館として実現しています(渡部昇一先生は大島淳一というペンネームで「マーフィーの法則」の本を多数出されていますが、この地下図書館なんて、まさにマーフィーの法則通りに実現した感があります)。
ちなみに、この図書館に本を収納しきれなくなるXデーも近づいてきており、それに対応するアイデアは今のところ全く浮かんでおりません。

当然渡部昇一先生にとってもそうですが、私にも「本の処分」という選択肢は全くありません。
私の図書館に足を運んだ人は、皆さん一応に感嘆の声を上げられます。
なぜならズラリと並んだ本からオーラが出ているからです。

もう亡くなったのですが、いくつものベストセラーの本を出した物理学者がおられました。
ところが晩年の本は面白くなくなったのだそうです。
その人は今まで2部屋を本の置き場に充てていたのですが、家庭の事情で1部屋だけにせざるを得なくなり、途端に本の質が落ちたというわけです。

ひょっとしたら本というのは持っているだけで、本の所有者の知的能力にパワーを与えれくれるのかもしれません。
だから本を手放すと、途端に知的能力が低下したり劣化したりするのかもしれません。
ある意味では「本を手放す」ということ自体が「反・知的行為」でもあります。

私は本に埋もれて一生を終えてもいいと思っているのですが、できれば「本たち」が気持ちよく過ごせる場を作りたいという気持ちも強くあります。
そのためには経済的な基盤もゼッタイ必要です。
その努力も怠らずに行っていくつもりです。