「頑張る」よりも「続ける」

「大きな目標」を“こしらえたがる”人というのはいるもので、私などもその典型ではないかと思っています。
ただし「大きな目標」を「〜しなければいけない」としてしまうと負担感ばかりが増してしまいます。
大きな目標はワクワク感が一緒でないとちょっと苦しいのです。

「大きな目標」は当然「山のような仕事量」を伴っています。
しかし「山のような仕事量」を目の前にすると、一体どこから取り組んでいいのやら見当がつかないことが多々あります。
その場合は「千里の道も一歩から」で「山のような仕事量」を小さく分けてしまうに限ります
そして出来るところからまず始めてみるということが大事ではないかと思うのです。

やり始めると気持ちが乗ってきて「やる気」が満ち溢れてくることが多いのです。
小中学生や高校生が勉強を始める時に必要なエネルギーは、指で障子を破るぐらいの力で十分だと本で読んだことがあるのですが、やり始めるまでが一番大変ではないかと思うのです。
その大変さをいつも気力でカバーしようとするとなかなか難しいのですが、習慣の力を借りれば“いとも”簡単に始められることが少なくありません。

水泳で見違えるようなカラダに変身させようと決意しました。
そうでなくても時間がタイトなので、余った時間に水泳に行くというわけにはいきません。
仕事を縫ってフィットネスクラブに向かわなければならないのですが、ついつい億劫になるのです。

「どうして億劫になってしまうのだろう?」と考え、はたと気づいたことがあります。
ある時45分も連続で泳いだことがあり、それ以降「それぐらいは泳いで当たり前」といった感覚が頭のどこかに残り、水泳への敷居が高くなってしまったのです。
つまり頑張り過ぎたら、あとが続かないのです。

初心通り「15分だけ泳いでさっと帰る」としておけば、心的障壁が低いものだから、もっとホイホイと行けたはずなのです。
自分で勝手にバーを高くしてしまって、それで行けずにストレスを感じているというわけです。
これでは本末転倒。

「頑張る」というのは「力み」が入ることでもあります。
力むとどこかにムリが生じるのです。
力みをなくし、流れるような自然な動きをしていきたいものです。

今ウェブレッスンを機嫌よく受けていますが、これも1回の授業時間がわずか30分だから続くのです。
講師との会話だけで言えば、時間はわずか20分。
が、この短さが長続きのポイントだと思うのです。
今後は「頑張る」よりも「続ける」に重点を置きたいと思っています。
なにせ「継続は力」なのですから。