もう迷わず掃除しよう。

38歳の時に鍵山秀三郎先生と出会い、それ以降、掃除に徹してきました。
随分と掃除に救われてきたことは事実ですが、掃除に苦労していることも事実です。
掃除は恩師鍵山秀三郎先生との絆(きずな)の部分でもあるので、たぶん一生やり続けると思います。

「掃除」と「早起き」は対になっていて、早起きしないと良い掃除は出来ないのです。
また「早起き」は「早寝」とも対になっており、早寝しないと早起きは出来ないのです。
年間2,000冊の本を読むことを決意してから、毎日3時間半の読書タイムを取っています。
そうすると「早寝」のところがちょっと困難になるのです。

今まで朝3時に目覚ましをかけていたのですが、読書をしようとしたら夜10時までに寝るというのが“やはり”難しいということになります。
朝はビートとの散歩が1時間、また書斎を始め私の生活圏の掃除が45分。
朝食が45分。
ブログ書きが1時間。
計3時間半が朝に消費されてしまいます。

先日は自宅と会社と外回りの掃除が終わったのがお昼の12時。
どうしてそんなに時間がかかってしまったのかの反省のしようもなく、振り返ってみても修正しなければいけないところはなかったように思います。
掃除的には95点ぐらいは取れていると思うのですが、デスクワークは相変わらず山のように残ったままです。

「こんなに掃除ばかりしていていいのだろうか?」の疑問は常にあるのですが、もう半分諦めました。
掃除ばかりしていて仕事をする時間が随分と少ないのですが、だからといって会社が赤字でもなく、資金繰りに困っているわけでもありません。
逆に掃除の手を抜くと、途端にトラブルやクレームがやってくるのです。

神道でも仏教でもまずは掃除をするところから始まります。
場を清めることは、すべての基本なのかもしれません。
神さまに奉仕するつもりで掃除したいと思います。

毎朝ビートを連れて散歩するのですが、その時に目につくゴミを拾って歩いています。
小さなビニール袋が吸い殻や紙くずでいっぱいになります。
吸い殻を取り除いただけで、その周辺の雰囲気が明らかに良くなることが少なくありません。
道路のゴミを拾うだけで、場が清まり、人の心の荒(すさ)みがなくなり、犯罪が減るのです。
おまけにゴミを拾っている人間の運気まで良くなります。
「やっぱりやめられまへん」なのです。