運を研究するのが、一番手っ取り早い

松下幸之助竹村健一のような能力のある人たちでさえ「運がいい人とだけ付き合う」をモットーとしていました。
「運がいい」あるいは「運が悪い」はどうも移るようなのです。
一種の波動のようなもので、運がいい人と接していると、こちらの波動まで良くなっていきます。

中小企業の社長をしている人たちを観察してみても、一時期良くても、その繁栄がずっと続く人は極めて稀(まれ)です。
自分の努力や才能を超えた、もっと大きな波のようなものがあり、少々自分の能力が人より優れているからといって天狗になっていては、あっという間に運は逃げていくのです。

成功者の晩年に「成功の秘訣は?」と聞くと、大抵「運が良かったから」という答が返ってきます。
謙遜していっているのではなく、実際そうだと思うのです。
ならば運の研究を本気でやってみてもいいのではないでしょうか。

運とは人智を超えたものでもあります。
つまり人間世界の範疇を超えた神さまの分野ということになります。
従って運の研究とは、いかに神さまから良運を導いてもらえるかの研究ということになります。

世界には様々な宗教があります。
あまりに現世利益ばかりを強調する宗教だとちょっと胡散臭い(うさんくさい)のですが、逆に来世の幸せばかりを説く宗教だと中々ツライものがあります。
やはり「この世とあの世を貫く幸せ」を求めたいわけです。

私自身は神道にハマっていることもあり、伊勢神宮出雲大社のような大きな神社に出来るだけ参拝したいと思っています。
神社へ行けば、知らず知らずのうちに歪(ゆが)んでいた生き方を直してもらえ、本来自分が持つ力を最大限に発揮できるようにしていただけるような気がしています。
むろん運もよくなります。

私が知っている限り「神道の達人」はみんな親切です。
私にはその親切さが欠けていると反省しています。
謙虚さは、神さまから好かれるための必要不可欠な要素です。
60代の私は30代の時よりも数倍謙虚になっています。
いくつになっても人間的な成長は可能だと思うのです。