自然体で生きる

一見、自分に不都合なことが起こっても、それは何かを意味しており、それに逆らわずに動いていこう(あるいは動かずにいこう)と考えています。
極端な例では、飛行機に乗り遅れ、その飛行機が墜落したなどということがあります。

30年ほど前にジャンボ機墜落事故がありましたが、本当はその飛行機に乗るべしが何かの都合で乗らず、命が助かったという知人を、私は直接に4人も知っています。
明石家さんま」もその飛行機を予約していたのですが、収録が早く終わり、1本前の飛行機に乗り換えたとのこと。
これらの方々は目に見えない力によって救われているのです。

自分が有利になりたいがために、無理やり、開けてはならない箱をこじ開けるようなこともしないようにしたいと思っています。
要は「流れに逆らうな」ということでもあります。

伊勢神宮に毎月お参りに行くようになってから、明らかに運気が良くなってきている実感があるのですが、私は神さまに後の人生を全面的に委(ゆだ)ねるつもりです。
自分の悪い頭でどうのこうのと考え悩むより、神さまにお任せしてしまう方がずっと楽だし、間違いありません。

ただし自分が「やるべきこと」は淡々とやり続けていこうと思っています。
けっして怠けず、手を抜かず、自分が出来る最高のパフォーマンスを発揮していこうと考えています。
勤勉がなければ、やはり成功はどう考えても難しいと思うのです。

信仰と勤勉の両方を持っているなら、怖がったり心配したりするようなことは何もないと思うのです。
信仰は小さな子供が愛情たっぷりの両親に守られているようなもので、大安心の世界でもあります。

勤勉は継続力でもあります。
ただし歯を食いしばるような「勤勉」ではなく、その過程を楽しみたいと思うのです。
逆に楽しまないと長続きしません。
語学一つとっても、楽しくないとすぐに挫折してしまいます。

神さまにすべてを託してしまい、しかし自分は「やるべきこと」を楽しみながら長く長く続けていくというのが、私の理想でもあります。
趣味でも勉強でも仕事でも、数十年単位で考え、ひとたび始めたなら、そうそう途中でやめないつもりです。
が、仮に三日坊主のことがあっても、それは自分と相性が悪いということが分かったわけで、そのことを早く知り得ただけ時間をムダにしなくて良かったととらえたいと考えています。