考え方ひとつで、すべてが変わる

人は知らず知らずの内に、心の制約を作っているように思うのです。
私は何故か「経営者が月に100冊以上の本を読んでいては経営の邪魔になる」と思い込んでいました。
時間が取られるからです。

その思い込みを外してみたのです。
そうしたら同じ読書時間なのに、2割ほどたくさん本が読めてしまいました。
私自身何か特別な努力をしたかと言えば、何もしていないのです。
ただ「月100冊」という制限をやめただけ。

東京で不動産業を営む友人が「考え方を変える」だけで大いに繁盛してきたのを横で見て知っています。
その考え方とは「中小企業の場合、社長の考え方一つで、会社はどうにでもなる」というものです。
友人の場合は考え方を変えただけで、その考え方に合わせた業態に会社が変わっていきました。

管理を中心としていた業態から、マンスリーマンションの運営に変わり、そこからまた収益物件の売買仲介に移行していったのです。
売買仲介は自分が第一線に立って行っています。
つまり最も優秀な営業マンを活用しているわけです。

一人だと時間が限られるので、より高い収益が得られる案件を選び、それに集中して仕事をしているのだそうです。
おりしも東京の不動産はバブルで、極めて追い風に乗った業務となっているわけです。
これなど考え方を変えただけで、やるべき仕事の内容まで変化した例でもあります。

「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴に入るよりも難しい」というのは聖書の有名な一説なのですが、これをまともに読むと「清貧に甘んずべし」という結論が出てきそうです。
ところがプロテスタント改革が起き「働く姿に神が宿る」といった考え方が打ち出されました。

それぞれの職業が、神から与えられた天職だという考えです。
すなわち農民は土を耕すことが立派な天職だし、商人はお金を儲けるところにこそ神の栄光が反映されるのです。
つまり富が肯定されたわけです。

お金儲けは何となく「胡散(うさん)臭いもの」だという考え方が払拭(ふっしょく)され、一生懸命「富」を追求していってもいいということになったのです。
そのへんから資本主義が大いに盛り上がり、繁栄を世にもたらすようになったのだと思うのです。
マックス・ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』でそのことを述べています。