ベトナム旅行で考えたこと

旅に出ると、予期しないことに出くわすことも少なくなく、さまざまな小発見があります。
そういった体験が時間をかけて自分の中で熟成され、いつの日か、まるで自分のオリジナルのアイデアのように出てくることがあります。

海外旅行は、行った場所と日にちを第1回目からすべて記録しており、確認するとホーチミンへ行ったのは今回が2回目でした。
ハノイにも一度行ったことがあるのですが、ベトナム自体4,5回は行ったことがあるような気がしていたので、ちょっと意外でした。
東南アジアは印象がよく似ているので、ほかの国に行った記憶と混同してしまっていたのかもしれません。

今回の旅で気がついたのは、一流ホテルのバーには顔を出すべきだということ。
来ている人たちの様子も含めて、その国(もしくは都市)の最先端の雰囲気が掴(つか)める可能性があります。
今後は一人旅の場合でも、極力バーに行ってみようと思いました。

ホーチミン自体は観光資源が乏しいように感じました。
元大統領府や戦争博物館などは、ベトナム戦争にからめた観光資源だし、フランスが造った建物も植民地時代のものです。
私はベトナムが好きだから言うのですが、いつまでも「戦争」や「植民地」ではいけないと思うのです。

ベトナム戦争は私が中学生の頃に行われていた戦争ですが、今でもその時の雰囲気を覚えています。
あたかもアメリカが弱い者いじめしているようで、悪役を一人演じていた感があります。
本当は、北ベトナムが武力によって共産主義統一するということなので、自由主義陣営としては、それを見逃すわけにはいかなかったのです。

ただし当時の南ベトナム政権は腐敗が酷(ひど)かったようです。
それに比べて北ベトナムの指導者であったホーチミンは気さくで清廉潔白のイメージがありました。
武力というより、リーダーの「徳」の部分で南は北に負けてしまったのだと思うのです。

ベトナム戦争でのアメリカ軍の犠牲者は5万8千人。
それに対しベトナム人は300万人が亡くなっています。
うち軍人が100万人。
民間人が200万人。
自分の国土で戦争が行われると、いかに犠牲が大きいかということです。