1万時間の法則

毎月伊勢神宮に参拝に行っているのですが、日々の生活においても天照大神(アマテラスおおみかみ)を意識することが多くなりました。
日本古来の宗教が一番自分にはピッタリ来ます。

会社の経営などをやっていると特によく分かるのですが、周期的に「悪いこと」がやってきます。
伊勢神宮に行き出してから、その「悪いこと」があまり来なくなってきたような気がするのです。

神々の力により「大難」が「小難」に、「小難」が「無難」に変わっていくように思います。
当たり前の生活を当たり前に過ごすこと自体が、実は奇跡の塊のようなもので、思いもしない大地震やツナミでも来れば、あっという間にその「当たり前」がどこかへ飛んで行ってしまいます。

自分以外の力で生かされているということに早く気づくべきだし、自分の力で出来ることなんて多寡が知れていると思うのです。
それを思えば謙虚にならざるを得ないわけで、感謝の気持ちが湧いてくるのも、ごく自然の話だと思うのです。

とは言え、自分の範疇でコントロールできる「勤勉」には凄いパワーがあることも事実です。
特に「勤勉」が「継続」されると、何でもできてしまいます。
「1万時間の法則」というのがあります。
スポーツでも1万時間を練習に費やすと、相当レベルの高い選手になります。
1万時間の練習に才能が加わると、オリンピック選手になるのも夢ではありません。

この1万時間がどれほどのものかと言うと、1日3時間費やして、1年で約1,000時間。
それを10年こなせば1万時間となります。
仕事だと1日8時間で、年間約2,500時間。
4年で1万時間です。
1万時間本気で仕事をすれば、会社になくてはならない人材になっているはずです。

何かをマスターしたければ、いかにその「何か」に1万時間を打ち込めるかを考えればいいということになります。
「1日3時間で10年間」で1万時間なのだから、そんなに難しい話でもないと思うのです。

私は学生時代柔道をやっていたのですが、その時に「1万時間の法則」を知っていたら、もっと違った結果になっていたかもしれません。
大学生の時に「1万時間の法則」を知って勉強していたら、10倍ぐらいの成果があったかもしれないと思うと悔しい気もします。
司法試験も1万時間の勉強が必要だと読んだことがあります。

青春時代の時間の使い方には悔いが残るのですが、今からの黄金時代には集中して1万時間を費やし、何らかの成果を出したいと考えています。
しかも成果だけにこだわるのではなく、その過程を存分に楽しもうとも思っているのです。