読書に「凡事徹底」

途轍(とてつ)もなく仕事ができ、そしてまた結果を出している人を見ると、自分が惨(みじ)めになり、ガックリと来ることがあります。
そんな時「これだけは誰にも負けない」というものを持っていれば、精神的な救いにもなります。
自信から生まれる気持ちのユトリも出てくると思うのです。
自分にとってそれは何かと考えた時、読書しか頭に浮かびませんでした。

読書は自分にとっての「凡事徹底」でもあります。
本は読もうと思えば誰でも読めます。
それを徹底すると何かが違ってくると思うのです。
それが何であるかは徹底してみて初めて分かるということです。
だから誰もが追いつけないぐらいの読書をしてみようということなのです。

「凡事徹底」は鍵山秀三郎先生のお言葉で、掃除のことで使われることが多いのです。
私は38歳の時に鍵山先生と出会い、その後22年間掃除を続けてきました。
今も毎朝2時間の掃除は欠かしていません。
時間がたっぷりある時の掃除は楽しいし、「掃除は運気を整える神事」だと理解してからは、質的にももう一段レベルの高い掃除が出来るようになりました。

しかしながら掃除と読書とを比べると、圧倒的に読書の方が自分にとっては大事だし、学ぶことも多いのです。
掃除は一生続けようと思いますが「人生の本筋」ではない気がします。
自分にとっての人生の本筋は、やっぱり読書。
読書さえしていれば、いつでもご機嫌なのです。

最近は読書数にも拘(こだわ)っています。
精読、乱読、多読と、色々な読書スタイルがあっていいと思うのですが、私の場合は多読。
読書数でダントツでありたいと思っています。
本を多く読むことにより、さまざまなことが分かってきました。
「月100冊の読書」を定めた時、これを続けていけば何かが得られるという漠然とした予感があったのですが、最近それは確信に変わりました。