仕事は神事なり

斎藤一人さんの本を読んでいて「掃除は神事」だと学んだのですが、掃除に限らず、すべての仕事を神事だと思ってやっていこうと決めました。
例えば近々コインパーキングを回り、草取りをしていく予定があるのですが、これも神事として取り組みたいと思っています。
自分の心の雑草も時々は刈ってしまわないと、きれいな心が保てないのです。
心を取り出して掃除するわけにはいかないのですが、ていねいな掃除をしている間に、心も勝手にキレイになっていくので、便利この上ありません。

雑用は雑にする用事ではないのです。
むしろ雑用にこそ、心を磨くチャンスがあると思うのです。
仕事を雑にやった時と、ていねいにやった時とでは、終わった後の気持ちの清々(すがすが)しさに雲泥の差があります。
毎回毎回のその差が、長い年月の間に人格の差になって表れてくると思うのです。
「40になれば、男は自分の顔に責任を持て」はリンカーンの言葉ですが、人格の差は顔にもハッキリと表れてきます。

祈りを込めた仕事でありたいと願っています。
「愛を込めた仕事」などと言うと違和感があるのですが、天照大神(アマテラスおおみかみ)や大国主命オオクニヌシのみこと)への祈りを込めた仕事なら出来そうです。
もともと「仕事」とは、「コトに仕える」つまり神様に仕えるという意味であったのです。

すべての仕事を大神(おおかみ)に捧げるつもりで、今日一日仕事してみようと思うのです。
今日うまくいけば明日またその方法を、もう一日伸ばしてみるつもりです。
一生そういった気持ちで仕事が出来れば、かなり良い人生になっていくのではないかと思うのです。

モノゴトを丁寧(ていねい)にやっていこうと思ったら、たくさんの量はできないかもしれません。
せっかく小さな会社にいるのだから、量より質を狙いたいと思うのです。
経営で言うなら「減収増益」。
神事なのだから、自分の努力だけではなく、神様のお力もお借りしようと思うのです。