早朝、ビートと一緒に散歩に出るのですが、こんな平凡なことに幸せが詰まっていることに驚かされます。
まずは雨が降っていては散歩に行けないということ。
雨が降っていないだけでもラッキーなのです。
また健康でなければ運動は出来ません。
病気でないというだけでも、実にありがたいことなのです。
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阪神大震災や東北大震災のような、取り返しのつかない災害に巻き込まれないだけでも大幸運だと思うのです。
こんなありがたい毎日に感謝しないと文字通り罰が当たってしまいます。
伊勢神宮や出雲大社にお参りしてから、何か守られている気がしてならないのですが、平凡な生活の中に幸せを見出すことが出来るようになったのも、参拝の効果なのかもしれません。
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仏教が日本に渡来してきた時、蘇我氏・物部氏の争いがあったのですが、それ以降は明治維新の廃仏毀釈を除いては、神道と仏教とは上手くやってこられたのではないかと思います。
一つの国土に神と仏が共存しているのは珍しいことで、神道の最高神官である天皇の中にも仏教に帰依する方がおられるのは、考えてみれば天地驚愕の話なのであります。
言ってみればローマ法王がイスラム教に帰依するようなものだからです。
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日本の歴史の中ではキリスト教も入ってきたのですが、人口の1%ぐらいのところで留まり、それを超えることは一度もなかったように思います。
浄土系の阿弥陀信仰は他力本願なのですが、これがメンタリティのところでキリスト教と重なっていて、キリスト教が“なかなか”日本の土壌に浸透しなかったのではないでしょうか。
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神道や仏教は日本人の生活の中に入り込んでいて、普通に生活していても神道実践者であると言えたり、仏教徒であると言えたりするわけです。
これに対してキリスト教は、自分の意志でそれを選択しないとクリスチャンにはならないわけで、信仰という意味でのレベルは高いかもしれません。