「この世」と「あの世」を貫く幸せ

人間は100%死ぬのは間違いがありません。
だのに生きている間に死のことを何も考えないというのも不思議な話です。
私の基本的な死生観は「この世は仮の姿。あの世こそ本当の世界」であります。
この世で大きな失敗や間違いさえしなければ、あの世を楽しみにしながら、この世を懸命に生きていけばいいわけです。
若い頃に死を迎えるのは何とも残酷ですが、年を重ねるにつれ死への恐怖のようなものが少なくなっていきます。
これもまた長生きの効用の一つなのかもしれません。

私は100%あの世を信じていますが、それはまた宗教の出発点でもあります。
宗教家で「あの世」を信じていない人がいるとすれば、これはやはりちょっと具合が悪いように感じます。
「この世」のことに執着しすぎるのも、また「あの世」のことばかりを偏重しすぎるのも、バランスが取れていないと思うのです。
この世とあの世を貫く幸せを求めていきたいものです。

この世で幸せになるためには、経済的なものを無視するわけにはいきません。
清貧の思想は、ちょっと時代性に合わないと思うのです。
経済的に恵まれないから不幸になるとは限りませんが、経済的な基盤がキチンと整っているなら、かなりの確率で幸福になることもまた事実です。
「恒産無き者は恒心なし」とも言うじゃありませんか。

とは言え「品格も教養もないけれど、お金儲けだけが突出して上手い」という人が世の中にはたまにいるのですが、これもまた私が目指す人格とは違います。
経済力も人格の高さも両方兼ね備えた人物を、やはり目指したいと思うのです。

神道は八百万(やおよろず)の神々によって成り立っています。
従って「調和」や「礼節」を重んじます。
また一神教とは違い、自ずから寛容の精神があるように思うのです。
我が家でもそうなのですが、家には神棚と仏壇の両方があります。
神道と仏教が家庭の中で共存しているのです。
一神教キリスト教イスラム教では、こうはいかないはずです。

このような寛容の風土の中で生まれ育っているので、私には「神様は悪いようにはなさらない」という気持ちがどこかにあります。
それが楽天的な生き方につながっているのだと思うのです。