努力は楽しい

最近は日々、若い頃にはあまり感じることがなかった「完全燃焼感」があります。
自分がやりたい仕事や勉強を思いっきりやっているという充実感でもあります。
人間は誰でも得意なことや好きな分野があります。
またその人独自の持って生まれた役割というのもあるわけです。
それらのツボにピタッとハマった時、自分の魂が喜んでいるのが分かるし、ワクワクして時間を忘れて没頭してしまうのです。

時たま変な見栄や意地で、自分の役割から外れてしまうことがあります。
会社の事業でも「隣の芝生は青く見える」ため、本来の役割から大きく逸脱する分野に乗り出そうとしたり、分をわきまえないで実力不相応な規模に拡大したりすることがあります。
その歪んだ状態に早く気がつくにはどうすればいいか?

それは神宮に行くことだと読んだことがあります。
例えば伊勢神宮の、より神殿に近い御垣内(みかきうち)というところに入れていただいたことがありますが、その雰囲気に圧倒され、個人の小さいお願いなど出来るものではありません。
各自が自分の役割に気づくようになるため、参拝のあとは幸せになって帰っていくとのことです。

小学生のころは算数や国語や理科や社会や、はたまた体育や音楽のすべてをやらなければなりませんが、大学院では自分の専門の分野に特化して勉強することが出来ます。
自分がやっている仕事が嫌で仕方がないのは不幸ですが、自分が好きなことでメシを食うのは実に痛快なのです。
生活のために働いている間はちょっと苦痛かもしれませんが、生活が安定する態勢になったなら、あとは自分がしたい仕事に打ち込んでいってもいいわけです。

そのためにも得意分野を磨く努力は常にしておかなければならないし、経済的な基盤を支える不労所得を得られるように、若い時から準備しておかなければならないかもしれません。
「世のため人のため」などと大上段に構えなくても、自分がやりたい仕事に邁進(まいしん)していけば、自ずとそれが世の中の役に立つことが多いのです。
だから「努力しよう!」だし、「その努力を楽しもう!」なのです。