夢の実現は潜在意識に任してしまえばいいのだから、私たちは過程を楽しむことに専念すればいいと思うのです。
努力を楽しむわけです。
同じ仕事でも工夫をしていかなければ飽(あ)きてしまいます。
いかに仕事や勉強や「やるべきこと」を楽しむかが、この豊かな時代には極めて大切なことのように思えるのです。
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潜在意識は現在と未来の区別がつきません。
従って理想の自分が、あたかも今いるように振舞ってしまえば、本当に将来そうなってしまうのです。
また潜在意識は自分と他人との区別もつかないのです。
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自分が人の成功に嫉妬したとします。
嫉妬するということは、本当はその人の姿が自分の理想であるわけです。
それが証拠に自分とは全く違う分野で活躍している人には、嫉妬の感情など起こりようがないのです。
理想の自分を嫉妬によって否定するようなことをすると、潜在意識は自分が望んでいる方向へ決して動いてはくれません。
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自分が最もワクワクする分野に、自分の才能を開花させるほど幸せなことはありません。
「そのことが好きだ」や、あるいは「それに興味がある」ということは、もうそれだけでそこに才能があるということなのです。
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以前にコンピュータのシステムエンジニアになる試験のテキストを見たことがあります。
もちろん私には全然理解できないのですが、それを勉強しようという気にもなりませんでした。
つまり私にはその分野には才能がないということでもあります。
一方、語学であれば、努力をいとわないという面があります。
私にとって語学は理屈抜きに面白いものだからです。
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日本一の高額所得者に何度もなっている有名な方がいて、その方が英語が嫌いなのです。
「英語など使う必要がなかったから勉強しなかった」ということだし、「もし英語が必要な時は、通訳を雇えばいい」との意見を持っておられます。
全くその通りなのですが、そうすると英語を勉強する楽しみと喜びがないではないですか。
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私のような凡人だと、一つの語学をマスターするのに20年かかります。
しかし逆に言うと20年間楽しめるのです。
仕事や勉強が義務だと苦しいのですが、それが楽しみだと、けっこうルンルンなのです。
私は鍵山秀三郎先生と出会ってから、20年以上掃除に打ち込んでいるのですが、掃除自体は結構楽しいものなのです。
だから続いているのでしょう。
逆に「掃除が楽しくて仕方がない」になれば、掃除道の佳境に達したと言えるかもしれません。