年千冊の読書力 その38

月に100冊の本を読み続けているのですが、これは自分の「売り」の部分であり、ちょっと拘(こだわ)ってキープしていこうと思っています。
100冊読んでいくのに、何に気をつけていけばいいかというと、これはもう余計なことに時間を取られないということに尽きるのではないかと思います。
最近はムダな時間の使い方をすると、とても後悔するようになりました。

やるべきことを「読書」と「語学」と「コインパーキング」に絞ってからは、随分と頭の中がスッキリし、以前よりもずっと前向きに取り組むことが出来ています(それにしても変な組み合わせです)。
「読書」の部分をもう少し増やしたいと思っています。
どこまで増やせるかは分かりませんが、仕事のルーティンワークを整理・削減して、その分読書の時間に当てたいと思うのです。

「月100冊の読書」が自分の自信の源になっていることは間違いがないのですが、手放しで自慢できるかと言えば、そうでもないのです。
なぜなら月に200冊以上の本を読んでいる人を少なくとも4人知っているからです。
それは私のまわりにいる人たちではなく、4人とも本の著者です。

4人のうち2人は大変尊敬できるのですが、あとの2人にはちょっと疑問符がつきます。
基本的な考え方のところが少し「おかしい」気がするのです。
従って本をたくさん読んでいるからといって、無条件で尊敬していいというものでもないということであります。

自分が好きな著者というのは、読んでいるうちに当然出てくるのですが「この人の本は全部買う」という著者が私には50人ぐらいいます。
その中には月に20冊も本を出した人がいて、もちろん全部買うのですが、その人の本を買うだけでも月に3万円もの出費ということになります。
時たま、新しい「この人の本は全部買う」著者を発見することがあります。
こういう時は本当にうれしいですね。
またお気に入りの著者の中には、年老いて”もう”本を書かなくなる人もいます(中には亡くなる方も)。

日本には何故か昭和5年生まれに優れた論客が集中していて、「渡部昇一」、「日下公人」、「岡崎久彦」、「竹村健一」、「堺屋太一」といった人たちはすべて昭和5年
長谷川慶太郎さんはもう少し上の昭和2年生まれです。
私はこの年代の人たちの本に大きな影響を受けてきました。
今後とも年齢に負けず、良書をどんどん出してもらいたいと願っています。