超高級腕時計

何百万円もする超高級腕時計をしている人が、たまに知人でもいるのですが、皆さん“かなり”満足しているようなのです。
ひと言でいえば「自分に自信が出来る」ということでしょうか。
今まで超高級腕時計などには、あまり興味がなかったので見過ごしていたのですが、雑誌などでもけっこう腕時計の広告が出ていることに最近気がつきました。

海外でも高級ショッピングモールには、必ず超高級時計のブランド店が入っています。
立派な店構えで、腕時計を売るだけで経営が成り立っているわけですから、それなりの需要があるということなのでしょう。
「同じ時間を見るだけなのに、どうしてそんなに高い時計を買わなければいけないのだ?」などと、私など“つい”思ってしまうのですが、そういう人は永久に買えないわけです。

仮に200万円の時計を買う余裕があるなら、私なら株を買うに違いありません。
あるいは金(キン)を買うかもしれません。
私の師匠の鍵山秀三郎先生は、高級腕時計のような身の回りの贅沢には無頓着なので、弟子の私にもその影響があるのです。
しかし日本経済活性化のためには、自分の余裕の範囲で、そういった贅沢をしていくべきなのかもしれません。

例えばタクシーに乗るのが贅沢の極みで、何か悪いことをしているように思っていた時期が私にもありました。
今でも経営書で、そのようなことを書いている本がたまにあります。
でも最近は時間も節約できるし、自分の体も楽だし、タクシーの運転手さんも喜ぶし、こんないいことはないと思うようになりました。

経済的な余裕があるのに、お金を決して使わず手元でキープしていては、日本経済にプラスにならないのです。
お金が世の中を回るスピードが速くなると、経済は活性化します。
自分が使ったタクシー代が回りまわって、また自分に帰ってくるような気すらしてくるのです。
あくまでも余裕がある場合に限られるのですが、個人の節約(もっと言えばケチ)が、案外、世の中のためになっていない可能性があるのです(経済学では「合成の誤謬(ごびゅう)」と言います)。

で、時計の話に戻ります。
いま私は、ソーラーシステムで電池がいらず、電波でいつも正しい時刻を表示し、海外へ行った時にはすぐに現地時間に変換できる時計を、かなりご機嫌で使っているところです。
今まで海外に行く時は、現地用にもう一つ腕時計を持って行っていたのですが、それが不要になりました。
価格は10万円台でした。
いつも正確な時間を示していて、電池が切れる心配がないだけでも、ストレスがないのです。