過程を楽しもう!

目標は当然掲げた方がいいし、目標があってこそ、方向性がハッキリします。
そうすると時間やエネルギーのムダも少なくなります。
目標にも大目標と小目標があって(もちろん中目標があってもいいわけですが)、うまく目標を打ち出していくのは、人生を左右するほどの大切な「技術」でもあります。
リーダーや監督やコーチがそういった技術に精通していると、チームはドンドン活性化するというわけです。

小さな目標を一つ一つ達成していく方法は、極めて現実的で、有効な方法だと思います。
小さな達成感の連続が、人生を素晴らしく充実させてくれるのは間違いがありません。
その小目標は大目標と繋がっていて当然です。
小目標と大目標とのベクトルが一緒でないと、自己矛盾に陥ります。

「どんな大目標を持つべきか?」は人によって当然違ってくるのですが、ゼッタイ外せない条件は「自分がワクワクするもの」であることです。
私は神道が一番ピタッと来るので、大目標は「死んでから高天原に入れていただくこと」なのであります。

目標を設定し、仮にそれが達成できなかった時はどうすればいいのでしょうか?
仕事でも勉強でもスポーツでも、自分が望んだようにはならないことが、やっぱりあることは否定できません。
ならば目標に向かって努力したことはすべて無駄になるのかと言えば、そうでもないと思うのです。
「努力は必ず報われる」は、人間の小さな英知では分からなくても、大きな天の視点から見れば真実そのものなのです。

鍵山秀三郎先生は、若い頃農業をされていました(せざるを得ない状況といった方がいいかもしれません)。
その時に稲を枯れさせないようにするために、必死になって水をやる努力をされていました。
しかし与えられたのが良い田んぼではなかったので、まともにコメが実ることはほとんどありませんでした。

ところがそういった努力が鍵山先生に強い肉体を与え、社会人になってからは3日ぐらい徹夜してもなんともない体にまでなっていたのです。
つまり農業に費やした努力は、強靭な体という形で報われているのです。
形を変えてでも「努力は必ず報われる」のであります。

ほんとうは目標を達成する、しないに限らず、その過程を存分に楽しむべきではないかと思うのです。
途中を十分に楽しめば、目標を達成するか否かは、そんなに重要なことではなくなってしまうのではないでしょうか。
コツコツと努力を重ねることに喜びを見出し、その過程を楽しんでいけば「運・不運」や「幸・不幸」に囚われない生き方が出来るように思うのです。
だから「過程を楽しもう!」なのであります。