同じ語学の勉強でも「聞く」の練習はお風呂の中。
いわゆる「フロ勉」であります。
この場合「防滴CDプレーヤー」が必要です。
「50歳からの画期的語学修得システム」のことを「デグチ・メソッド」と勝手に呼んでいるのですが、このフロ勉はデグチ・メソッド一押しの学習法でもあります。
そもそも語学の「聞く」を学習などと考えるからシンドイのであって、「聞く」などは知的作業でも何でもなく、単に「反射神経」か「条件反射」の範疇なのです。
語学の中での知的作業は、やはり「読む」と「書く」の分野だと思います。
*
人生の持ち時間の話に戻します。
自分にとっては、ゴルフや観劇やコンサートのように長い時間を消費するものは、許されていないと自覚しています。
野球のオールスターだって、最初から最後までテレビで見てしまうと、あとで後悔しそうなので、チラリと見る程度に留めています。
何かをなそうと思えば、やはりどこかでストイックなものを持たないと、なかなか自分の夢や願いは成就しないのではないかと思うのです。
*
つまらないことに時間をかけないで、その分読書したいとも思います。
時間なんて“あっという間”に過ぎ去ってしまうものだし、短い人生なのだから、本当に大切なこと以外は、どんどんカットしていくべきではないかと思うのです。
昔「省事」をモットーとしていた政治家がいたのですが、その真意が分かるようになりました。
「人生の本筋以外はカット」と割り切れば、逆に何が自分にとって大事なものかが見えてくると思うのです。
仕事でも「やってもやらなくてもいいようなことを、一生懸命やっている」というケースが少なくありません。
思い切ってカットしたって、会社の業務に何の影響もないことも多いし、業務に支障がでそうならアウトソーシングしたっていいわけです。