次へのステップとしての「卒業」

懸命にその道を極め、一生その道を歩むのかと思っていたら「卒業」の時期があったりするから驚きです(何の卒業かは、また追々述べたいと思います)。
考えてみれば「卒業」がないと次のステップに歩めないし、いつまでも同じところをグルグルと回るだけで進歩がありません。
例えば人の死亡率は100%。
「死」だって「卒業」の一種に違いありません。
願わくは満足のいく卒業でありたいわけです。

肉体的な死の場合はハッキリと認識できる変化ですが、世の中には目に見えない変化も多いのです。
時代がどんどん変化しているのに「我が社」や自分だけが同じところに留(とど)まっていてはいけないわけです。
成功体験に執着していると、会社はあっという間に置いてきぼり。
下手すると廃業や倒産の憂き目にあいます。
古いものを捨て去り、新しい時代に向けて進んでいく機能があるのは資本主義の優れた面であるとも思うのです。
我が社が捨て去られる方に入らないように、努力と工夫をしようと思っています。

たまたま私は不動産業に従事しているわけですが、その内容もどんどん変えていかねばなりません。
例えば賃貸管理という事業は、30年前にはあまりなかったように思います。
福岡県の先進的な不動産会社が「賃貸管理」の概念とシステムを普及させました。
その「賃貸管理」であっても、中身はどんどん進化しており、昔の賃貸管理とは別物のようになっています。
同じ分譲マンションでも、構造、設備、間取りなどが、昔のマンションとは比べ物にならないぐらい進化しているのとちょうど同じ感じです。

時代の変化や社内の変化(例えば経営者や社員の高齢化)に合わせて、事業の転換や廃棄も考えなければならないかもしれません。
類(たぐい)まれな経営能力で会社を盛り立ててきた創業社長が、晩年会社を倒産に追い込んでしまうケースは少なくありません。
頭の柔軟性がなくなり、過去の成功体験にとらわれてしまっているからでしょう。
また一方、年相応の経営というのがあるのかもしれません。