軍事大国、軍事小国

盤石とした経済力を持たなかったソビエト連邦は、アメリカとの軍拡競争に敗れて、国そのものを滅ぼしてしまいました。
ソ連のような脆弱な経済力で、よくまあアメリカと冷戦で張り合ってこられたものだと、逆に感心してしまいます。
ロシアは実は大資源国。
その資源を経済力の基盤にし、軍事力とKGBのような情報機関の力で、ソ連邦や東欧諸国の国々を押さえてきたのだと思います。

エリツィン大統領は国営産業を民間に譲渡していきました。
ただし行き渡った先はマフィアなども少なくなかったようです。
従って一時期、ロシア経済はわずか200人ほどの人間によって支配されていました。
しかしもっと昔は皇帝一人が支配していたので、だいぶ民主的になったとの話を冗談として聞いたことがあります。

軍事力で周辺諸国に睨(にら)みを利かせてきたソ連とは逆に、日本は戦後、軍事力を抑制し、経済力に特化してきました。
結果として今まではそれで上手くいってきたのですが、今後もそれでいいのかどうか?
軍事力だけが突出した「金(きん)」に、国土の半分をとられた文化国「宋」のようになってはならないわけです。

軍事大国を目指す核を持った近隣国の圧力というものが現実にあります。
それらの国の軍事的圧力に負けて、日本が妥協を繰り返さないといけないようになるのは非常に具合が悪いのです。
軍事予算は典型的な政府支出でもあるわけですが、新しい技術の開発や経済効果をもたらす公共投資でもあるわけです。

ナビや携帯電話やインターネットは、今や生活になくてはならないものです。
これらはすべてアメリカの軍事技術から生まれ、民間に技術公開されたものです。
日本は戦争に負けたため、軍備に対して抵抗感があるのですが、防衛問題は「国民の生命と財産を守る」極めて大切な国の仕事でもあります。
「備えあれば憂いなし」だけでなく、経済活性化や最先端の技術開発という意味でも、防衛力の質的整備は、今後非常に大事な要素を持ってくるかもしれません。