ゾレンかザインか

高校生の時、尊敬するS先生にハガキを出したことを唐突に思い出しました。
「人生はゾレン(sollen)『かくあるべし』でいけばいいのか、ザイン(zein)『あるがままの自分』でいけばいいのか、どちらでしょう?」といった内容です。
高校生の割には、けっこう高度な質問だったと思います。

S先生の答は「自分が怠けそうな時はゾレンで、また余裕がなくなり焦って来た時はザインでと、状況に応じて考えれば」というものだったと思います。
このS先生とは志賀大郎先生のこと。
大変な読書家で、私が本をたくさん読みだしたのは、この先生の影響です。
家に遊びに行くと、天井まで本が積み上げてあり、またスペースも本に占領されており、畳一畳ほどの空間で寝起きされていました。
高校生の私は、その本の迫力に圧倒されたことを覚えています。

さてさて、もし今の自分が「ゾレンかザインか」の質問をされたらどう答えるでしょうか?
ゾレンとザインが別の方向に向いているのが問題なのだと思います。
「自分がやりたいことが、結局世の中に役に立っている」のが理想です。
やりたい放題で人に迷惑をかけるのは論外だし、最初から自分を犠牲にしていくのも苦しいわけです。
ゾレンとザインのベクトルを一致させるところに、人生の智恵が必要だと思うのです。
ダマイ・ラマも確かそんなことを仰っていたように思います。

仕事とプライベートとの関係でもそうです。
「仕事は面白くなく、出来るだけプライベートな時間を大切にしたい」では、いい仕事は出来ないし、結果いい人生にもなりようがありません。
「いかに仕事を楽しむか」あるいは「仕事を面白いものにするか」が正解なのだと思うのです。
それでもどうしても馴染まない仕事や職場はあると思います。
そんな時は辞めて別の方向を考えるべきかもしれません。

とにかくベクトルを同じ方向にさせないと、いくら時間があっても足りません。
自分を高める修行と、人のために役立つ修行とは、本来ベクトルが別なのです。
仏教でも「上求菩提・下化衆生(じょうぐぼだい・げけしゅじょう)」といいます。
どちらに自分のエネルギーを持っていけばいいのか迷っていては、どちらにも満足いく結果が残せないのです。
「上求菩提・下化衆生」が一体となるようにするのが仏の智恵というものだと思うのです。

歴史的に見ても「上求菩提」を大切にするのが上座仏教、「下化衆生」に力を入れるのが大乗仏教
「自分を高めることばかりに一生懸命で、それによって得た悟りがちっとも世の中の役に立っていない」との反省から生まれたのが大乗仏教
「仏教の教えで世の中をいい方向に動かしていきたい」との思いだったのですが、今度は法や僧の堕落が始まるのです。
例えば仏教では「五戒」という戒律があるのですが、その中の一つに「不飲酒戒」があります。
酒を飲むのはハッキリと禁止されているのに、大乗仏教ではいつの間にか蔑(ないがしろ)にされているというわけです。