会話と読書

何がうれしいかと言えば、社会人となった娘や息子と仕事の話が出来ることです。
以前まだ子供たちが小さかった頃は、家族との間の共通の話題があまりなく、家族で食事に行っても私は退屈でした。
子供たちの就職先については、私はノータッチだったのですが、一人はコンピュータのシステムエンジニアに、もう一人は外資系の生命保険会社に就職。
もし私なら、どちらも全く考えもしなかった選択肢です。

自分のボキャブラリーをすべて使って話すことが出来る相手との会話は、ものすごくエキサイティングです。
私は世間話というのが出来ず、またあまり内容のない人と話すのも苦手です。
しかし「内容のある」人との会話は、読書をしている時以上に充実感を感じます。
渡部昇一先生や長谷川慶太郎さんなどの「超・内容のある」人は、本を通じてしかお付き合いがないのですが、対面して話す相手で「内容のある」人は、不思議なことにほとんど年下の人です。

やっぱり頑張っている人の話は面白いのです。
頑張っていない人と喋っていても、どうも歯車が噛み合いません。
その人と話していると、大きな刺激を与えられ、こちらまでやる気になって来る時はワクワクしますね。

今まで例外なく面白かったのが「よく本を読み、よく旅をしている人」とのお話。
今でこそ私も読書と旅行が趣味なのですが、自分が仕事ばかりやっている頃でも、そういった人とお話しすると、随分多くのことを学ぶことが出来ました。
ましてや今は同じ趣味の話ということもあり、そういった人たちとの話の時にはのめり込んでしまいます。

渡部昇一先生の蔵書は15万冊なのですが、やはり本をたくさん読む人の本は内容があり面白いのです。
ところが本を月に200冊以上読んでいるのに、書いている本がさほど面白くない人がいるのです。
これは何故なのかがよく分からなかったのですが、一つの仮説が浮かびました。
本を大量に読んでいるのに書いた本が面白くない人は、ひょっとしたら読んだ本を捨てているのではないだろうか?
読んだ本を捨てるか捨てないかなど、書いた本の面白さに関係がないような感じがしますが、案外目に見えないところで大きな影響を及ぼしているのではないかという気がするのです。
この仮説が正しいかどうかがハッキリするのには、もう少し時間が必要です。