あるフランス人いわく「出来るだけ日本語を話したい。日本語を話すと気持ちがやさしくなるのが自分で分かるから」。
私たちは日本語の“ど真ん中”で生活しているので気がつかないのですが、日本語にはそういった特色があるのかもしれません。
日本語は気持がやさしくなる。
ならば職務上気持があまりやさしくなっては困るサムライたちは、出来るだけ日本語をしゃべらない方がいいわけです。
だから「寡黙」が徳目とされるようになったのではないかと勝手に推測しています。
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香港で聞く中国語(広東語だと思いますが)は、みんな喧嘩しているようです。
日本にいる中国人の夫婦(どちらもインテリ)は、喧嘩する時は中国語だそうですが、仲直りすると日本語になるそうです。
ドイツ語をしゃべると「しっかりと任務を遂行していかなければならない」という気持ちになります。
英語を話すと、私の場合気持ちが高揚してきます。
「英語モード」になるだけで、手が大きな動作になります。
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聖書の冒頭に「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり」という文章が出てきますが、まことに深い意味を持った一説だと思います。
日本語には「言霊(ことだま)」があると言われます。
だから出来るだけ前向きな言葉、積極的な言葉を使っていきたいものです。
願いを成就するのに、言葉の力を活用しない手はありません。
日本語の音にも、それぞれ意味するものがあるようなのです。
例えば「ま」はエネルギーを意味します。
マグマでもあります。
また「し」は「湿(しめ)り」を意味します。
だから「しま」は「水に囲まれたマグマ」、つまり「島」なのです。
「や」は矢でもあり、方向性を示します。
だから「やま」は「方向性のあるマグマ」、すなわち「山」となるわけです。