祈りはすべて「感謝の祈り」

願いを祈りにこめる時、すでにそのことが成就したが如く祈るのがいいようです。
「○○が叶い、本当にありがとうございました」
すなわち願いの祈りは過去形。

「有難い」とは、本来そうではないのに神仏の加護によって「有り得難い」状態が与えられているとの意味。
目が見える、話ができる、今日も元気だ、家族も元気だ、働く場所がある、等々。
当たり前のように思っていることでも、考えてみれば大変に恵まれたことの連続なのに違いありません。
もし仮にアフリカのどこかに生まれていたら、食べるものにも事欠く毎日かもしれません。

電気が来る、水道が出るなどの、ごく当たり前だと思っていることが、実はものすごく有り難いことだと分かったのは、阪神大震災
凡事感謝なのです。
これだけ与えられているのに、不平不満など“もってのほか”。
従って通常の祈りは「感謝の祈り」であるべき。
祈りは請求書ではなく、領収書なのです。

願いの祈りも「〜が叶えられ、ありがとうございます」。
さすれば「通常の祈り」も「願いの祈り」も、どちらも感謝の祈りということになります。
神仏に対しては常に感謝。
実際ありがたいことだらけなのです。
黒住教は日本神道系なのですが、この教祖の黒住宗忠は伊勢神宮にお参りするとき「神のご繁栄」を祈ったといいます。
自分のことではなく、神のご繁栄。
すごいことだと思います。

振り返ってみるに他人のために祈ったことなどあるでしょうか?
それができればかなり本物。
この世で生きている間に、ちっとは「ほんもの」を掴んで帰らなきゃ。