夜は出歩かない

私自身がバタバタと営業に走り回るということはなくなりました。
まとまった時間に、たっぷりと仕事をこなしていくというパターン。
仕事だけでなく、勉強や読書も同じこと。
となると一つの「たっぷり時間」に2時間は必要となります。
ということは「たっぷり時間」が取れなければ、まともな作業は出来ないということでもあります。
せっかくまとまった時間があるのに、プツンプツンと細切れにしているのではないかと反省。

細切れの時間をいかに上手く活用していくかも大事なのですが、それには様々な方法があります。
いわばテクニックの問題。
これに対し「たっぷり時間」の確保は、人生をも左右する根本的な問題です。
ウダウダとやたら時間を浪費してしまっては神様に申し訳ないのです。
自分のものだと思うから「いいかげん」な時間の使い方をしてしまうのでしょう。
神様からお預かりしているものだと思えば、ムダな使い方は決してしないと思うのです。

退院以降、夜の予定は原則的に入れなくなり、随分と体力的にも時間的にも楽になりました。
毎夜出歩くような生活をしていては、知的生活はまず出来ません。
新聞記者で自分の本を出す人と出せない人との違いは、夜飲み歩く習慣がない人とある人との差だと聞いたことがあります。
自分の会社を経営し出してから、最優先で仕事に打ち込んできたわけですが、人生の後半戦は知的生活を歩んでいきたいと願っています。
だから知的生活の邪魔するものを、思い切ってカットしていかねばなりません。

夜の会合のメリットはいくつかあります。
まずは人脈が広がるということ。
リアルタイムの情報を得られることや、世間に疎くなるのを防げるのもメリットです。
おいしいものが食べられるというのもメリットの一つ。
ただかなりの時間を費やしても「いい情報」は、そんなにホイホイと入ってくるものでもありません。
時間ロスとその効用を見比べた時、かなり効率の悪い時間の使い方だと思うのです。

仮に大阪での会合に夕方から出かけて行った場合、家に帰ってくるまで下手すると5〜6時間使ってしまいます。
5〜6時間あれば、デスクワークが相当できます。
読書に集中したとすれば6〜7冊ぐらいは読めるのではないでしょうか。
本を6〜7冊読んで、ムダだったという事はまずありません。
必ずプラスになることがいくつか得られます。
読書ほど「中味充実度」が高く、時間効率のいい方法は他にはないと思うのです。

夜の予定を入れてしまうのか、入れないで知的時間を確保するかは、私の場合、大袈裟でなくまさに人生の一大事。
夜の予定を入れていないのに、読書が全く出来なかったという日もけっこうあります。
だのに夜出歩いては生活はガタガタ、人生もガタガタになるのは必至。
やっぱり朝を活用するに限ります。

私はキリスト教も仏教も相当勉強してきたのですが、日本神道が自分に一番ピッタリ来ることが最近分かってきました。
日本神道は「朝の宗教」。
日本神道は心や場を清め、ピュアさを最も大切にします。
即ち掃除につながる心。
日本神道は「森(木)の宗教」。
自然を大切にし、自然と共存する考え方。
日本神道は「やる気の宗教」。
言葉では言い表しにくいのですが、凛とした秩序を守り、人々を活性化させるエネルギーが伝わってくるような気がするのです。
こうして書いてみたら、まさに自分にピッタリ。
日本が生まれて2668年。
日本神道はその中核をなす精神を司ってきました。
その精神を継承する一人になりたいと思うのです。