一世塾の課題を考える

次の一世塾のテーマは『どんな世の中になれば良いか。そのためには何が良くならなくてはいけないか。また自分の何が変わらなければならないか』。
普段は自分や会社のミクロ的なことか、あるいは不動産市況、あるいはマクロにぐんと飛んで世界情勢のことを考えています。
従って案外「世の中」のことは考えていないことにまず気がつきました。

「世の中」のことは批判しだすといくらでもネタは見つかります。
自分は何もしないのに批判ばかりするのは、私の価値観では最低のランクに位置します。
従って「世の中」のこと自体をあまり考えないのかもしれません。
「どんな世の中になれば良いか」の私の答えは「生活の向上と安定」。
家庭でも企業でも社会でも、経済的な基盤がしっかりしていることがまず第一。
特に企業などは売上げさえ上がっていれば、問題の9割以上が解決しているといっていいのではないでしょうか。
家庭だって経済的に豊かであれば(貧しくなければ)、問題の8割はクリア出来るのではないかと思います。
「豊かでも心が貧しければ何にもならない」という声も聞こえてきそうですが、では「貧しければ、心が豊かになるか」と問えば、そんなことは絶対にないわけです。

政治家が果たすべき最低限の義務は、経済的に豊かな社会を作ること。
これは国政レベルでも市政レベルでも同じことだと思います。
社会福祉だって財源がなければ満足には出来ません。
豊かな経済力を持つためには、それなりの哲学も必要だし、システムやノウハウも不可欠です。
自己顕示欲の強いベンチャー経営者ではなく、無私のカリスマ・リーダーの出現が望まれます。
今の日本にかつての松下幸之助本田宗一郎のようなカリスマ・リーダーが存在しているのかどうかはよく分かりません。
もし存在していないのならそれが、何となくその実力を発揮し切れていない日本経済の原因ではないかと感じます(わが師鍵山秀三郎先生はもう少し精神的な存在)。

出来るだけ統制の少ない社会であるべきだと思います。
経済の要諦は「自由闊達」。
ナチスの略は「ナチオナル・ゾチオロギー」。
即ち国家社会主義なのです。
また数千万人の自国民を処刑したスターリン社会主義
右も左も実は社会主義だったのです。
戦前の2・26事件の青年将校たちも、あるいは北一輝などの右翼も国家社会主義
日本でも戦前は右翼も左翼も社会主義だったわけです。

統制経済自由経済の敵。
最近「格差はいけない」という論議の政治家がいますが、大リーグとマイナーリーグの選手の収入が同じである方がおかしいのではないでしょうか。
シュンペータは企業家精神こそが、経済発展の原動力だと見抜いています。
つまり今一番問題なのは企業家精神の欠如では?

いま私に出来ることは、マイカンパニーにおいて企業化精神を発揮すること。
そしてそのスピリッツを周囲に伝導させて行くこと。
そのためにも大いに繁栄すべし、成功すべし。
ただそれを自分のためだけに取り込まないで、世の中に還元する。
というところで、今回の一世塾の宿題を終えます。