「今」を楽しむ

持越し苦労や取越し苦労は、神さまへの罪。
せっかく与えられた「今」に、余計なものを持ち込んで濁してはいけないわけです。
持越し苦労は過去のもの。
取越し苦労は将来のもの。
そんなものをわざわざ「今」に持ち込んでは、「今」が力を発揮できないのです。

過去や将来の煩(わずら)わしさと戦っているほど、人生は長くないのです。
「今」出来ることを今に。
今やるべきことをやらずして、いつやるというのでしょうか?
今を純粋に楽しむ。
今に最高の自分を集中させる。
結局、人間が出来ることと言えば、これしかないのではないかと思うのです。

「問題から逃げてはいけない」と自分を追い込み、持越し苦労や取越し苦労で悩むことはないのです。
聖書も同じことを教えています。
「思い煩うな。過去は過去が思い煩うであろう。空の鳥を見よ。蒔(ま)かず、刈らず、しかるに汝らの天の父は、これを養い給う。汝らこれよりも遥(はる)かに優(まさ)るるものならずや」

自分を客観的に見ることも大切かもしれません。
あまりどっぷりと悩みに浸(つ)かると、抜き差しならなくなってしまいます。
この世は仮の姿。
そう深刻にモノゴトを捉(とら)えなくてもいいのかもしれません。
映画の中でも、困ったことやイヤなことがいっぱい起こるわけです。

でも映画自体は楽しんでいるはず。
嫌なら見なければいいのです。

モノゴトに対し、感情的にならずに冷静に対処していくことは、物凄く大切なことだと思います。
一つ一つの出来事に、いちいち怒ったり、悩んだりすることなく、逆に有頂天になったりもせず、やるべきことを淡々とやっていく。

自分ひとりの力なんてしれているのです。
まわりの協力も必要。
天の軍勢の支援も大切。
こ憎たらしい顔をしていては、誰も味方してくれないのです。
大切なのは、普段から積み重ねていく「徳」。
天の軍勢の力をお借りするには、陰徳は不可欠。

「生きてるだけで丸儲け」なのだから、「寝るところも食べるものもあるだけで、じゅうぶん幸せ」なのだから、自分のためにはそれ以上何を求める必要があるというのでしょうか。
自分の感情に囚われることなく、淡々とやるべきことをやり続けていく。
むろんその根底には感謝があるのは言うまでもありません。