道に遊ぶ

時間は神様から与えられたもの。
出来る限り活かして使わなければなりません。
うだうだと、つまらないことに浪費するわけにはいかないのです。

体も神様から与えられたもの。
ムチャをせず、大事に長持ちするように使っていこうと思います。
時間も体も与えられたものだと納得できます。
じゃあ心は?

心もやはり神様によって与えられたものだと思うのです。
邪悪な気持ちで、心を真っ黒にしてしまうのは、神様に対し申し訳けありません。
しかし良き思い、悪しき思いをコントロールするのは至難の業。
ではどうするか?

ここはやはり無我の境地です。
己を空にして初めて、天の意思と通じ合えるように思います。
己の心を我欲でいっぱいにしていたのでは、インスピレーションは降りては来ません。
祈りもかないません。
じゃあ無我の境地にはどうすればなれるのか?

無我の境地になろうと思っても、なかなかなれるものではありません。
何かに集中する過程で「無我」になっていくのだと思います。
一人で会社で仕事をしていると3時間ぐらいはあっという間に過ぎていきます。
仕事に没我状態から、ハッと我に戻った時、「この3時間の間、自分は存在していたのだろうか、していなかったのだろうか?」。
存在していたとも言えるし、存在していなかったとも言える。
「自分が仕事をしていた」と言うより「仕事が仕事をしていた」と言った方が、相応(ふさわ)しい状態ではなかったかと思うのです。

低次元の「遊び」は、「働く」の反対語としての遊び。
高次元の「遊び」は、「対象と一体化すること」、あるいは「道と一体化すること」。
「道に遊ぶ」、「仕事に遊ぶ」という境地をぜひ確保したいものです。

「遊び」には要らぬ力(りき)みはありません。
遊びはリラックス。
遊びは喜び、楽しさ、面白さ。
遊びは義務感ゼロ。
この状態で「やりたいこと」に集中していきたいのです。
「やりたいこと」が天への道につながっていたいですね。

自分はやりたいことをやっているだけなのだけど、それが実は世のため人のためになっている。
例えばイチロー
自分のためにやっていることが、実は多くの人に勇気を与えている。

ワクワクしながら仕事そのものを楽しむ。
目標のためでも、成果のためでもなく、心底楽しみながら「やるべきこと」を淡々とやり続けていく。
結果、圧倒的な仕事量。
そんな人生でありたいですね。