本の置き場と「ヨコ勉」

欣喜雀躍(きんきじゃくやく)することが毎日あるわけでもなく、感動が日々続くわけでもありません。

 

人生の大半は平凡な一日一日の積み重ねです。

 

が、平凡な日々の中で自分を磨いていくことはできるはずです。

 

幸か不幸か、コロナのおかげで人との交流の機会が減りました。

 

その分、時間に余裕ができ、お金を使わなくてすんでいるかもしれません。

 

もともと私の趣味は読書なので、これ幸いと家にこもって本を読んでいます。

 

本に関しては(高校の恩師の)志賀大郎先生と渡部昇一先生の影響をたっぷりと受けてきました。

 

高校生の時に志賀大郎先生のご自宅にお伺いし、畳の上に天井まで積み上げられた本を見て圧倒された経験があります。

 

また渡部昇一先生から「知的生活のためには本を捨ててはいけない」との教えを受け、それが今の私の地下図書館に繋がっているのは間違いがありません。

 

電動書庫を設置した時「もうこれで一生、本の置き場に困ることはない」と思ったのですが、それから10年経ち、残りスペースがかなり危うくなってきました。

 

と言うか、電動書庫はすべて埋まり、新たに書庫を8か所ほど買い足しています。

 

多分、来年いっぱいくらいは大丈夫だと思うのですが、そのあとの見通しは全く立っていません。

 

最近「ヨコ勉」という読書法を開発し、これが物凄い威力で、専門書をバンバン読破しています。

 

ただし半日丸々使うので、今年中はあまり「ヨコ勉」の予定が取れていないのですが、来年は既に手帳に週2回ずつ「ヨコ勉」の日程を記入しました。

ヨコ勉用の本を会社に置いています。

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その中からきのう読んだ本がこちらです。

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ルーティンワーク

「やるべきこと」と言っていいのかどうか分かりませんが、毎日けっこうな時間を費やしている作業があります。

 

これをどうとらえるかで、大袈裟でなく、かなり人生が変わってくると思うのです。

 

例えば掃除。

 

先日、神主さんの日常を描いた本(マンガ)を読みました。

 

それによると、神主さんの仕事は「掃除に始まり、掃除に終わる」とのこと。

 

つまり掃除は傍流の仕事ではなく、中核をなす、極めて大事な仕事だということです。 

 

私も鍵山流掃除を続けて30年経ちましたが、ようやく「掃除は神事だ」という心境に達しました。

 

また掃除は体の「ストレッチ」や「筋力保持」にちょうどいい軽作業でもあります。

 

フィットネスクラブへ通うのだって時間がかかるのだから、家で無料で体のメンテナンスが行え、しかもキレイで清潔な環境もゲットできる掃除は一石二鳥だと思います。

 

「ブログ書き」も毎日書こうと思うと時間的負担がかかります。

 

1つのブログに1時間くらい費やすので、その分ほかの仕事をしたほうがいいと思うこともありました。

 

しかし最近ブログをザっと見返す機会があり、過去のブログにとても触発されました。

 

またブログから6冊もの(市販の)本が出たことを知り(「今頃知ったのか!」という感じですが)、ブログが自分の知的生活にとって、なくてはならない存在であることを強く認識しました。

 

もう迷いなく、掃除とブログに毎日取り組もうと思っています。

 

地政学

アフガニスタンは「大国の墓場」と呼ばれています。

 

そこに介入した大国が何の収穫もなく撤退する歴史を繰り返しています。

 

イギリスがアフガニスタン支配下に置こうとして、結局撤退しました。

 

次にソ連が介入し、手ひどい惨敗で、やはり撤退。

 

今回アメリカがアフガニスタンから手を引きました。

 

ベトナム戦争の最後の状況と重なり、アメリカのこの20年間の介入は一体何だったのだろうと虚しく見えます。

 

アフガニスタンにそんなに資源があるとも思えず、一体どうして(その時代の)大国が入っていくのかが私にはよく分かりません。

 

ただし世界のアヘンの80%がアフガニスタンで生産されており、何かその辺が関係しているのかもしれません。

コロナの影響もあって日本は、中国や韓国に対し、国としての対応は何もしていませんが、それでいいと思っています。

 

企業や個人が交流するのは結構ですが、国どうしは非接触の方が案外うまくいくように思います。

 

相手国から近づきたがる動きがあっても、日本は「ど~んと構えて動かない」が(歴史を振り返ってみても)正解ではないかと思うのです。

 

私自身もここ10年間、反日がひどくなった韓国と、思想的な締め付けが厳しくなった中国には行っていません。

 

そろそろ香港にも「行くのが怖い」気がしています。

1902年に日英同盟をしてから日本は大いに飛躍しました。

 

が、1923年に破棄されてからは、日本は坂道を転がるように敗戦への道をひた走ってしまいました。

 

それはイギリスも同じで、日英同盟破棄以降はイギリスも色んな面でガタガタになっています。

 

今また日英同盟のチャンスがやってきました。

 

日英同盟だとアメリカも反対のしようがありません。

 

「来年の神たび」

毎年今ごろは、来年行く海外旅行のことを考えている時期で、行き先を決めたなら飛行機とホテルの手配もすませているはずです。

 

海外の飛行機と(一流)ホテルは1年前から手配でき、そういう意味では国内旅行よりも簡単に予約できてしまえます。

 

いつ再び海外へ行けるかは予想がつかず、ひょっとしたら、もう3年くらいかかるかもしれません。

 

コロナが完全に収まることはなく、「アフターコロナ」から「ウィズ・コロナ」へと発想を転換しないと、何事もちっとも前に進まないように思います。

 

海外がダメなら国内とばかりに、来年前半の計画を立てました。

 

東京ビッグサイトなどで不動産や投資関連の展示会があると、躊躇(ちゅちょ)なく視察することにしているので、来年早々3回も東京へ行きます。

 

なにせ自分のコンセプトが「旅人投資家」なので、それに沿った行動でもあります。

 

もう一つのコンセプトが「神道研究家」なので、こちらの方も負けずに「神たび」を来年前半に4回分決め、手帳に記入しました。

 

4月に諏訪大社に行ってこようと思います。

 

ご祭神はもともと出雲神のタケミナカタ神で、上社本宮、上社前宮、下社秋宮、下社春宮と、4つもの大きな神社から成り立っています。

 

5月は、富士山の麓(ふもと)にワンちゃんと一緒に泊まれるホテルがあり、ビートを連れて、北口本宮富士浅間神社と箱根の九頭竜神社に参拝します。

 

九頭竜神社はお礼参りです。

 

6月は出雲大社です。

 

足立美術館に向かい、出雲大社、日御碕神社、須佐神社で参拝、ならびに今井書店出雲店に立ち寄る計画です。

 

7月は先日訪れた宗像大社、宮地獄神社、香椎宮筥崎宮に参拝し、帰りに萩の松陰神社松下村塾に行き、尾道で1泊しようと思っています。

 

 

 

祈る人になる

神社巡りをする時、多少なりともスピリチュアルなことを期待しているところがあるわけです。

 

が、ピンと来ることなしに神社をあとにすることも少なくありません。

 

神社と自分との相性というのもあるように思います。

 

1度や2度神社に行って、その良さが分からなくても、回を重ねるごとに段々とその神社と波長が合いだし、大好きな神社になっていくこともあります。

 

あるいはちょっと空振りの感じで帰ったのだけど、しばらく経ってから(魂に)ガツンと来る神社もあります。

 

伊勢神宮に毎月参拝しているうちに、いつのまにか「いつも神さまに守られている」といった感覚が身についてきました。

 

先日、箱根神社の近くにある九頭竜神社に行ってきたのですが、何となくウマが合う感じがしました。

 

それ以降、ちょっと困ったことがあると、九頭龍さんにお願いすることにしたのです。

 

もう解決してもらった案件が2,3件あり、来年、お礼参りも兼ねて再来する予定です(日程もホテルも決めました)。

修験道役小角(えんのおずね)が開祖で、山伏はその系統を引き継いでいるのですが、神羅万象の神々を崇め、祝詞(のりと)を唱えれば、般若心経も唱えるという、神道も仏教も融合しているところがあります。

 

ある山伏の本を読んだのですが「単にキャンプや登山をするだけではモッタイない。どうして『自然への祈り』を入れないのだ」ということでした。

 

現代人は祈りを蔑(ないがし)ろにしているところがありますが、私もその言葉に大いに反省をし、今後は「祈る人」として生きようと思います。

 

ただし宗教家ではないので、本業はあくまでもビジネスパーソンです。

 

 

 

本の原稿書きを終えて

本を書くのは時間との戦いだというのもよく分かりました。

 

私はゴールデンウィークと盆休みの2回を使って書いたのですが、ブログで積み重ねた文章がなければ、とてもじゃないけど6万字は書けなかったと思います。

 

ブログの大切さがわかっただけでも収穫でした。

 

「男子三日会わざれば、刮目(かつもく)して見よ」という言葉がありますが、原稿を書き終えた自分と、それまでの自分とでは明らかに違ったものがあります。

 

自分の「生き筋」もより明確になりました。

 

これからは遠慮することなく、どんどん旅に出ようと思います。

 

ちょっと長いめの旅を年に何回か取るのも悪くないし、日帰りで神社や歴史遺産を訪ねてみるのもO.K.です。

 

海外に行ける日がいつになるかは分かりませんが、ひそかに語学の実力をつけていこうと思っています。

 

中国語を中断し、英語・独語・仏語に絞ったものよかったのです。

 

頭の中がスッキリし、モチベーションが俄然盛り上がってきました。

 

本業である不動産投資業は、何に投資するかの時点が最も重要で、あとの営業努力などはあまり問われない事業でもあります。

 

ならば常に「投資の眼」を磨くことが大切です。

 

クルマでのフットワークを活かして、日本各地のいろんなところにホイホイと出かけようと思っています。

 

本は今は月に200冊の読書量ですが、自分で勝手に限界を作っていることに気がつき、月250冊・年に3,000冊を目指すことにしました。

 

「やるべきこと」に意味を見出す

毎日の「やるべきこと」に「なぜ、それをするのか?」の納得感がないと、気合を入れて続けていけません。

 

例えば掃除は「掃除は神事」の哲学と、掃除という軽作業をすることにより、体のストレッチと筋力保持を行うことができるというメリットに気がついてから、迷いなく集中していけるようになりました。

 

同じようにブログ書きも毎日行っているのですが、今回のように本の出版に相当貢献していることに気がつくと、モチベーションが違ってきます。

 

過去のブログにざっと目を通していったのですが、旅行のブログは(もう忘れていたことも思い出したりして)面白かったですね。

 

来年は日帰り旅行も含めて、もっと旅に出ようと思い、来年の予定をすべて手帳に落とし込みました。

 

短い人生なので、行きたい所にドンドン行かないと悔いが残ると思うのです。

 

ブログを書くために旅に出たっていいわけです。

 

それにしても1冊の本を書きあげようとすると、魂を持っていかれるくらい疲労困憊します。

 

また、本が出せるくらい「濃い」人生を生きているかどうかも問われます。

 

本が出来あがるまでに何度も原稿を読む必要があり、本が出版されたころには、その本を読む気にもならないという経験を何度もしています。

 

でも、やっぱりまた出したくなるのが出版の魅力でもあります。

 

今回の本の原稿書きの段階で、明らかに自分がもう一段ステップアップしたことを実感し、うれしかったのです。